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燃えよわが魂、と魔女は言った ep3「第三の堵列」

卒論で忙しいので三月まで活動しないかも




燃えよわが魂、と魔女は言った
ep3「第三の堵列」


 どれだけよき血が肌の下を流れ、どれだけ厳格な教育を脳に叩き込まれ、どれだけひとをその華奢な手で殺したとしても、結局、女の子は女の子だ。
「あー! ナリスちゃん、そのケーキ、マリーが最後に食べようと思ってたのに!」
「ふふン、さっさと自分のお皿に取っとかないからよ」
「すみれさんの言い分にも一理あるっすけど、わかってて横取りしたんだからすみれさんも意地汚いっすよ」
「いやいや、甘いねきみたち。お腹の中に収めるまで安心するのは早いよー?」
「あれ、わたしのケーキが消え――、ちょッ、コロン先輩、さすがにそれはひどいって!」
「ちょっとみなさん! お食事の時ぐらい、お静かになさっていただけませんの!?」
「しかし自分の強度測定によると、食事開始前より音声強度は二十パーセントほど低下していますが」
「……わざわざありがとうございますですわ、ウェスタ」
 どれだけ歴史ある邸宅で催された、どれだけ格式ばった食事会だとしても、出席者が女の子だけならこんなものだ。
 コロンはナリスの皿から掻っ攫ったガトーショコラを飲み下しながら、にやにやと笑みを浮かべる。「でもさっき一番うるさかったのはネユだよね」
「それはみなさんがわたくしの話を聞いてくださらないから仕方なく――!」
「まーまー、いいじゃないですか、ネユ先輩。主賓のわたしは楽しんでますし。さっきのケーキがまだあると、なおいいですけど」
「マリーもまだ食べたーい!」
「ふたりとも、図々しいっすよ……」
「申し訳ありませんけど、もうありませんわ、閣下。次の機会にはもっと用意しておきますわ」
「あーも、硬いって。わたしの方が年下なんですし、もっと気さくな感じでお願いしますよー」
「さっきは客の振りしてケーキせびってたけどね?」
「コロンさんが手を出さずに、ナリスさんとマリーさんで分ければ解決する話だったのでは、と自分は判断しますが」
「うぐ……そーいう余計なことは言わなくていいし……」ネユの胡乱な視線を感じて、コロンは大きな暖炉に目を逃がせた。
 そこにはミミッド領主の家門が刻まれ、コロンたちが今いる部屋が、ミミッドで最も高貴なサロンだということを示している。
 ――週末にネユの家で歓迎会をやろう。そう提案したのは四日前のコロンだった。
 ミズシの襲撃から一週間経過した週明け、ライブの翌日のことだ。マットー伯爵のナリスは転校してくるなり、なんとコロンの部隊に入隊すると宣言したのだ。ナリスを部隊控室まで案内し、申し訳なさそうに顔を伏せたキキの傍らで、コロンは誰かがサプライズと言いながら電子クラッカーアプリを操作するのを五秒間は待ち望んだ。ミミッドの領主たるネユも初耳だったようで――ナリスが精力的に口封じしてまわっていたのだから当然だけど――、唖然としてゆうに十秒は固まっていたように思う。
 LMOのスフィアからスフィアへの移住は珍しいことではない。それが爵位持ちだとしても、そう少なくはない事例だった。
 そうなると普通、移住者は、その世代のうちは賓客扱いだ。有事に力を借りれども、騎士隊を任せたり、ましてや幕下に加えたりはしない。親善大使などというかしこまった肩書まで引っ提げてるんだから、一層コロンは当惑した。
 コロンが率いる第一生徒騎士隊は、みな優秀な子ばかりでミミッドでも随一ではある。領主もいるし、キキ家という名家も抱えており、名実ともに凡百なスフィアの騎士隊と遜色ないと、コロンも自負している。ウェスタの衛星観測もあることだし、防衛戦に限って言えばどのスフィアにも引けを取らないはずだ。
 だけどあのマットーの伯爵、しかもエアレプリカまで単独所持となると事情は変わってくる。別段、イナリ家自体は武芸に秀でた家ではない。マットーの特徴とも言える、外交官の血筋だ。ゆえに、マットーの中核であるイナリが培ってきた豊満な資産と厚い人脈は、時に武力、時に権力に成り代わる強力なリソースと化していた。奴隷よろしく生き、農民と同じ経済レベルのコロンからすれば、もはや核融合爆弾のようなものだった。
 だから、コロンはとりあえず議会に確認、報告、相談しなければいけなかったし、何日か様子見が必要だと思ったために、咄嗟に騎士隊として歓迎会の話を持ちだしたのだ。
 そうしておけば、しきたりや儀礼に神経質なネユ家が勝手にナリスを招き、結果としてうやむやのままナリスを許容してしまうことも避けられる。領主として親善大使を歓迎するのは必然だし、それはひとつの公式な区切りとなってしまう。歓迎会の準備にかこつけて忙殺されている振りをし――コロンの部隊以外に招待客もいなかったし、食事会というより軽いお茶会だったのでとくにすることはなかったけれども――、根回しをはかると言うか、心構えをする意図もあった。
 ナリスの転校は議会でも取り沙汰されて、今なお物議をかもしている。
 親善大使という形式でミミッドの護衛として滞在する、とマットー側は主張しているものの、本心からの言葉なのかは甚だ疑問ではあった。マットーは議会の中でも多数の議席を抱えている。ゆえにマットーの領主は魔女の存在とその恐ろしさについて、既知だ。何かと建前を作って魔女に近づいたのでは、とも考えられた。
 実際にナリスに問いただしてみたところ、ホントはキキに王鍵の正体がバレちゃったから監視のためですよ、とかなんとかのたまってはいたが、ただの騎士の子を監視するために伯爵さまが直々にお出ましになる道理はない。ナリスは何らかの密命を承っているのだ。
 それでも、ミミッドなどより遥かに強大なマットーの伯爵を無碍に扱うことも許されない。第一マットーも、ミズシのテロの被害者であることもまた事実だ。違和感は残るものの、ナリスを受け入れざるをえなかった。
「はー、コロン先輩、うらやましいなー」ふいにナリスが肩を寄せ、囁きかけてきた。
「……何の話?」赤髪から突き出した狼型耳状形態デバイスが、無意識的にぴくりと動く。
「もー、とぼけちゃって。あんなかわいいひと、なかなかいないですよ?」
「……誰に聞いたの、それ?」
「あ、やっぱりコロン先輩だったんだ、あの指輪のひと。領主にあんなもの贈る豪胆なひと、先輩ぐらいしかいませんもんね」
「あれ、もしかしてあたしカマかけられた?」
 くすくすとナリスが笑う。「もっとしゃっきりしてないと、さらわれちゃっても知りませんよ?」
「言っとくけど、手ェ出したら承知しないからね」むっとしてコロンは返す。
「そこは心配しなくていいですよ」不敵に笑んで完璧なウィンクをして見せ、「わたし、割とマジで他に狙ってる子いるんで。ねー?」ナリスは同意を求めるように、膝の上のフェレット型愛玩用ロボットの頭をくしゃくしゃと指先で撫でた。
「深く追求はしないけど、ほどほどにね……」
 と、まぁ、こんな具合に、コロンとしてもマットーの行為を訝っても、ちょっと生意気で小憎たらしくて人懐っこいナリス本人に対して、猜疑心を抱くことなどできなかった。
 マットーは強国だ。魔女――王鍵、炎の心臓曲線を欲しがらない理由はない。現状として軍事的には手に余ると言えど、炎の心臓曲線の質量エネルギー変換効率には目を見張るものがある。勝手気ままなマットーのことだから、血の風習などどこ吹く風で、平気でコロンをコンバータに転用するだろう。
 だが、ナリスはまだ十三歳の女の子だ。ミミッドに災いをもたらす害敵とみなすには、あまりに幼い。
 マットーも非情ではない。自国の伯爵の娘を政治に利用しても、汚れ仕事を任せたりはしないほどの分別はあるはずだ。
 世界を斜に見て、疑うことが、コロンの脳に染みついていた。キキやマリーと同じ二つも年下の少女を、ミズシと同類の、ハイエナか何かと思わせていた。それは嘘偽りなく、ミミッドの実状であり、コロンの置かれた状況だった。
「――でもさ、よくよく考えたら、ナリスってアイドルだよね。恋愛とかご法度なんじゃないの?」
「今は休業中だからいいんですよ、たぶん。でも、おかしなハナシですよね。わたしが交尾してホントに困る人間なんて、この世界にはひとりかふたり、それもきちんとした家族ぐらいしかいないはずなのに。ファンのみんなが恋人? いくらなんでも無理があるでしょ。あんたらホントにそれでいいのかって。ま、理解はできないとはいえ、仕事には必要なんで納得しちゃいましたけど」
「……あー……、それはほら、アイドルって夢の中の存在っていうか。ある意味現実じゃないわけだし」歯に衣着せぬ物言いに、コロンは思わずたじたじになる。「経験済みだとほら、アイドルじゃなくてもいろいろと幻滅することがあるって言うし」
「でもそれこそおかしいでしょ。わたしの家に見合うひとなんて、この世にいくつもないんですよ。コロン先輩がどんな魔法を使ったのかは知りませんけど、先輩ぐらい胆が太くて、なおかつ奇跡にでも恵まれてなけりゃ、騎士程度じゃ絶対に結ばれるわけないのに、バカらしいと思いません?」
 マットーの議員が自国民に守秘義務を守っているかどうかは別として、コロンは一応ただの騎士階級として通していた。コロンが魔女であり王鍵であり災厄の種であることは、世界平和のためという名目で、各連合加盟国の議員と領主、あとはキキとマリーぐらいしか――任務遂行上いずれは怪しまれるはずなのであらかじめ伝えておき、他言無用だと釘は刺しておいた――知り得ないはずだった。議会のみが十五年も魔女を隠匿していることが今さら明るみに出れば議員のスフィア内での地位が危ぶまれるのは自明なので、議員も口を滑らせるへまはしないと思われるが。
「一縷の望みにかけてるんじゃないかなあ……?」だんだん擁護しきれなくなってきて、コロンはおざなりになっていた。「あとまァ、うちの場合、あの子がおばかさんだった、ってのもあるけど。もちろん、あたしにとってはいい意味で」
「あー、はいはい、ごちそうさま。惚気は結構ですって」ナリスがこれ見よがしに苦い顔をしてみせ、「でもこのご時世、それぐらいの方が生きやすくていいですよ。賢ければ賢いほど、世知辛いから。その分、先輩たちは幸せですよ」さげすむでもなく、そう言い切った。
「……そーなのかもね」なんとなく感慨深く思いながら、香りのよい紅茶をすすっていると、
「ちょっと、先輩方」ネユが柳眉をひそめてコロンたちをねめつけていた。「なんだかひどくバカにされた気がするんですけども。わたくしに何かご不満があるなら、きちんと面と向かっておっしゃってくださいな」
「いやー、めっそうもないですって。ミミッド領主におかれましては、見目麗しく大層聡明なお方だとマットーにも伝わっておりますゆえ、愚弄するなど畏れおおいコト――まともな神経の人間にはできませんよ?」
「それこそバカにしてるって」コロンは肘でナリスを小突いた。「心配しなくても別に悪口は言っちゃいないよ。ネユはかわいいね、って話をふたりでしてただけだよ、ほんと」
 途端にネユは耳まで真っ赤になって、「……おたんこなす」顔を反らし、ぼそりと呟いた。
 語彙は増えたようだったが、参考書を見直すべきだとコロンは思った。



「わたくし――、時々思うんですの。今となっては、実は自分はとんでもないことをしでかしたのだ、と」ぱちぱち爆ぜる暖炉を見つめながら、ネユがぼんやりとひとりごちるように言った。「あの時は雰囲気に押されて自分の気持ちに素直になってしましましたけど……、これって、これ以上ない背信行為ですわ」
 コロンは繋いだ手に視線を落とす。ネユの左手の薬指には、談話室の暖炉の明かりを受けて、甘いオレンジ色に煌めく銀の指輪があった。
「後悔してるんだ?」
「正直にいえば、後悔しまくりですわ」こつんと頭をコロンの肩に預け、「でも、りりことずっと一緒にいたかったのは、わたくしの本心ですわ」
 コロンは嬉しくなって、甘えるようにネユの頭に頬を乗せようとして、あやうく羊型角状形態デバイスに青い瞳を刺し貫かれそうになった。
 日付も変わろうとする頃合いだった。夜も遅いということで、後輩たち三人には客室にひっこんでもらっていた。ウェスタはおそらくその辺をほっつき歩いているか、どこかの個室で待機状態に移っているだろう。
 アンドロイドであるウェスタの本分は、災厄の魔女たるコロンの監視と護衛だ。屋内にいるときなどは特にコロンにつきっきりなのが筋であるが、ウェスタに書き込まれているAIはずいぶん優秀らしく――キキでさえ感心するほど――、ネユ家の人間と接している時に限っては機敏に空気を読んでくれる。それに、基本的にウェスタはコロンに甘い性格をしていた。
 たまに奇異な言動を取ることもあり、ライブの日などは、伯爵艦に乗艦どころか外出もできず機密と保安上の理由から議場に半日も監禁されていたコロンが、なぜかネユに怒られる羽目になったが。
「後悔はさせないよ、いつになるかわかんないけど」五指を絡めて、ぎゅっと握り込む。「どうしても待ちきれないなら……、くるわがあたしを重荷と思うなら、捨ててくれたっていい。血を裏切りたくないなら、他の人とこどもを作ってくれてもいい。でも、あたしは本気の本気」
 ネユはかぶりを振って、「……そんなこと。これっぽっちも思っちゃいませんわ。りりこのことを、あそび半分にするつもりも、毛頭ありません。……でも――」
 安心させようと、ネユの細い肩を抱き寄せる。「あたしも、あそび半分でくるわにプロポーズしたりなんかしないよ、宣戦布告もね」
「それは、わかってますわ。りりこを信用もしています。わたくしが言いたいのはそういうことじゃありませんの」
「じゃ、どういうこと?」
「夜、ひとりでいるとき――どうしても、罪悪感に、押しつぶされそうになりますの」
 同性愛は遺伝子の否定だ。
 デザイナーズ技術も発達し、遺伝子操作で親の性別を問わず子供を成せるようになった現在でも、巨大な禁忌とされる。
 同性愛はナルシス的側面をもつために、血を誇るLMOからすれば背徳であり同時に当然の帰結でもあった。だから、律せざるを得なくなった。
 それが領主ならますますもって、背信だ。ネユ家はこのままいけば、滅ぶ。養子をとったところでネユの遺伝子が混ざってない以上、領主伯は与えられないから意味はない。
 LMOをひとと思わないスフィア・オロンドの研究者なら、十五年前にスフィア・ナギミで魔女を創りだしたときと同様に喜んでやってくれそうだが、他国では人為的な遺伝子操作技術の風当たりは厳しい。それまで人類は今のオロンドのごとく、遺伝子をいじくりまわすことに明け暮れていたのに、アンドロイド論争や法改正が始まるやいなや見事に手のひらを返してみせたのだ。
 たとえ遺伝子操作で子を生んだとしても、オーガニズムレベルに関して不便させることになるだろう。万に一つの確率で障害を宿すかもしれない。おとなになって、免疫不全を起こすかも。連合議会からも人権を認められないまま、LMOではなくLMO、遺伝子組み換えヒト生命体変異種族ではなく遺伝子組換え生物として陰惨たる末路を迎えるに違いない。
 それに――最悪の兵器である魔女の遺伝子操作は、きっと未来永劫許されないから。
 だから、コロンとネユは永劫交われぬ存在でもあったのだ。
 だから、ふたりが交われる時とは、それは既存のすべてのシステムが破壊し尽くされた時だ。
 だから、コロンはネユに、母と故郷を救いだしネユとめおととなるためだけに世界を焼いて清める覚悟を示したのだ。
 コロンはネユ家を引き裂いた張本人だ。ネユを誘惑し、将来を誓うことで、伝統と歴史を貶めさせもした。あまつさえ血筋をみすみす絶やすなど言語道断だったが、ネユを諦めるつもりはこれっぽっちもなかった。
 ――世界さえ焼いてしまえば、あたしが壊したものはすべて元通りになるんだ。
 ――今はまだ無理でも、いつの日にか、ネユに害なすすべてを焼きつくす。
 たぶん、夢物語でしかなかった。だけど、ミミッドやネユの母とともに連合の暗部に幽閉されたふたりにとって、それは最後の希望でもあった。他に道しるべなどなかった。ネユの母を人質に取られている以上、逃げ場もなかった。
 袋小路の中ではお互いに、お互いしか自分の気持ちを告げられなかった。ふたりしか、いなかったのだ。
 コロンはソファにゆっくりとネユの華奢な体躯を押し倒す。最初は身を強張せていたネユだったが、コロンの紺碧の瞳を見つめるなり、すぐに力を抜いた。
「今日はひとりじゃないよ。あたしがいる。あたしが――罪悪感なんて、忘れさせたげる」
 ネユの前髪を掻きあげて、額に軽くキスした。眉、まぶた、鼻梁、頬、と順に唇を這わせていく。馥郁たる芳香が肺を満たした。耳の後ろと首筋に口づけていくと、ネユはくすぐったそうに身をよじって、
「……もう。忘れもの、ですわ」桜色の唇を押し付けてきた。
 初めはただ唇を重ねていただけ。次第についばむように、唇をむさぼった。
 鼻にかかったネユの吐息が、コロンの脳をずきずきと痺れさせた。たぶん本人は知らず知らずのうちに、ネユの手が背中に回される。悩ましげに冷え性気味なひんやりした足が、コロンの足にからめられた。
 だんだん息苦しくなってきて、コロンはいったん顔を離す。
 ネユも息を荒げて翠の瞳をすっかり潤ませ、頬を朱に染めていた。噛みつきたいほどの愛おしさが胸にこみあげてきていた。
「かわいいよ、くるわ。めちゃくちゃかわいい」ちっとも理性的じゃない述懐。
「っ、ゃ、やめて、くださ、い……恥ずかしい、ですわ……」今にも泣き出してしまいそうな顔。
「でも事実だよ。かわいいかわいい、かわいいくるわ、ナリスだって言ってたよ、くるわのこと、かわいいって」
「は、恥ず、かし――」
 耳元で囁く。「恥ずかしがることなんかないよ。くるわはかわいいんだもん。あたし、食べちゃいたいぐらい」
「うぅぅぅ……」顔を手で覆い、本当に泣き始めたんじゃないかと疑ってしまうようなうめき声。
 そして、適度にいじめたので、今度はあやしてやろうかと思った矢先。
「……ほん、とうに、食いしん坊、ですこと」こくりと生唾を飲み込み、「……痕……残さないと、約束していただけるなら……、どうぞ、召し上がれ」ネユは目をつぶって、ネグリジェをはだけて肩口までを晒した。
 慎ましい乳房に続く、紅潮した、継ぎ目のないまばゆいばかりの白い肌。きっとガトーショコラよりもなお甘く美味な、極上の肉。炉心よりもなお熱く燃え盛る魔女の心臓を、素手で握りつぶされた気分だった。
 据え膳食わぬは狼の恥。思わずおやじっぽく舌舐めずりしかけるのを抑え込んで、百合の花弁を思わせる白さの首筋をぺろりと舐め上げる。びくりとネユの身体が震えた。得物を逃がす無粋はしないように、片方の手首を掴んで頭の上で抑えた。
 分泌された体液でべっとりと、か細い首が穢されていく。
「っふ……、ぅ、んんっ……、……は、ぁっ、く、ふ……」
 すべすべした柔肌を優しく吸い、前歯で甘噛みする。唇と舌から伝う体温の出所を掘り出すみたいに、歯先で探っていく。反応したネユが押し殺した声を漏らすたびに、ぞくぞくと冷たすぎる何かが後頭部に集まっていた。
「……んっ、う……は、あ! あぁ……、やっ、あうっ!」
 犬歯で神経と血管をひっかくようになぞる。ひっかいた箇所をねぶるように吸う。しっとり汗ばんできたネユの太ももが何かを求めるように、もぞもぞとこすりあわされる。自由な方の手でコロンのパジャマを掴んでくるのがわかった。
「ん、あっ、いっ……、んっ、んっ、んんっ! った、いたっ!」
 ただただネユのことが愛おしかった。かわいいネユ。あたしだけのネユ。誰にも邪魔されないよう、どんなシステムにも割りこまれないよう、完全に独占して、征服して、壊して、自分だけの中に仕舞っておきたいぐらいだった。
 頸動脈を覆う皮膚がいかに薄いか試さんと、徐々に力がこもる。濃厚な血潮の味と、歯ごたえのありそうな若い肉への期待から、口腔に次から次へと唾液があふれてくる。
「たっ、あいたっ、痛いっ! ちょっ、りり、こ、痛いっですわっ」
 コロンは接吻の時以上にくらくらするほどの興奮を、もはや峻烈とも言える酩酊を覚えていた。つつくようだった愛撫は、やがてかじり、噛みつき、かぶりつき、歯止めが利かなくなって、食いちぎるようなものにかわっていた。そのまま――。
「痛いって言ってるじゃないですの、こンのへちゃむくれ――!」
 存外鋭いボディブローが脇腹に突き刺さって、コロンを恍惚から引きはがし、その身体がくの字に折れる。怒りとともに螺旋を描く角から漏出した紫電が、ばちりとコロンの指先を痺れさせた。
 激痛にえぐえぐと悶絶し始めたコロンをよそに、ネユはさっさと身だしなみを整えて立ち上がり、
「……明日は訓練ですので先輩も夜更かしなさらないように。おやすみなさい」つんけんしながら自室へ戻っていった。



 正式に付き合い始めて十日余り。
 顛末はいつも似たり寄ったりだった。
 邸宅には、ネユが週一の公務のために訪れる際に、二回に一回ぐらいの頻度で遊びに来ていた――味音痴の癖にその都度高級な料理やお茶を頂いているものの、決してたかってやろうというやましい目的で来ているわけではない――が、先週末に泊まった時も似たような喧嘩をしていた。
 翌日、朝食どきになっても食堂にネユは顔を出さなかった。家政婦に問うても、肩をすくめるだけだった。珍しくねずみ色のマフラーなんか巻いて兵舎のハンガー前に現れた時も、憮然として唇を真一文字に結び、硬く口を閉ざしたままだった。
 おそらくマフラーの下には吸引性皮下出血の痕跡か、赤い歯型でもついてるのだろう。朝起きて鏡を見て気付き、処置する暇もなかったのだろう、とるものもとりあえずといった感じで、訓練にはふさわしくないマフラーをつけてきのだと推理できた。
 ネユは領主だからオーガニズムレベルにはかなりゆとりがあるはずだったが、議会にジェネレーター搭載を許されてなかった。議会にとってネユは、生きていれば責任逃れに使えるし、死んだら死んだでミミッドを気兼ねなく支配できるから、ていのいい道具でしかないのだ。
 紙パックのコーヒーを喉に流し込みながら、コロンは訓練場を見渡す。
 集まっているのはネユにキキ、寝ぼけまなこのマリーだけ。とうに集合時間を過ぎているというのに、なかなかの出席率だ。ナリスの寝坊は予想できたものの、ウェスタはいったいどこで油を売っているのか。
「遅いっすね、ナリスさん」キキが長い黒髪をゴムでポニーに結わえながら言った。「ナリスさんのために、時間を繰り上げてるようなものなのに……」
「ま、一回ぐらいはいいんじゃない? 隊長補佐も遅刻してるし。ってかあたしとしてはそっちの方が信じらんないんだけど。副隊長はなんか聞いてない?」
 生徒騎士隊では普通の騎士隊と違って年功序列を採用していた。血筋や本人の才も無視はできないが、若い世代では一年でも二年でも長く兵役に就き、戦闘経験を積んでいる方が実力は格段に違うのが普通であるからだ。だから、コロンのような人権もない人間でも領主を差し置いて隊長に任ぜられる。とはいえアンドロイドは副隊長に任命できないので、ウェスタは隊長補佐だったのだが。
 副隊長――ネユはつんとそっぽを向いて、「……ぼんくら、……のーたりん、……あんぽんたん、……とーへんぼく――」ひたすら呪詛のようにぼそぼそと誰かを罵っていた。
 キキが額を寄せてくる。「ちょっとコロン先輩、また痴話喧嘩っすか?」
「え? いやァ、あはは……」
「昨日はあんなにいい雰囲気だったから、今晩こそは絶対うまくいくと思って、ぼくたち胸を撫で下ろして床についたんすよ?」
「うーん、申し訳な――い、って、おいこら、待ちなさい」逃がさじとがしりとキキの小さな両肩に手を置いてまっすぐ見据える。「今のは聞き捨てならないよ。……昨日、覗き見してたね?」
「してないっす」一瞬ぎくりとしながらも、目もそらさず、惚れ惚れするほど迷いのない即答。マリーならこうはいかない。
「怒らないからしょーじきに言いなさい」
「何の話かさっぱり理解できないっすね」
「しょーじきに言いなさい」
「さっぱりっすね」
「はァー、もう、この子たちは……。どおりでマリーが眠たそうにしてるのね。こどもは早く寝なさいと言ったでしょうが」
「マリーは枕が変わると寝付けないたちなんすよ。ぼくの部屋に泊まる時も枕ごとっすから、兵舎の管理人の目をごまかすのにも一苦労っすよ」やれやれ、困ったものっす、と付け加え、呆れたようにキキは首を振ってみせる。
「そう、あくまでしらを切るのね……まァ、いいけど」断じてキキのしぐさの可愛さに負けたわけではない、と自分に言い聞かせながらも、コロンはキキを解放してしまう自分を情けなく思った。
 そしてマリーが船を漕ぎ始めた頃になってようやく、掃き箒みたいな形状の、最新型の小型静音機動ユニットに乗ったナリスがやってきた。訓練向きじゃない突拍子もない服装で来るかも、と半ば不安だったが、さすがにそこまで常識がないわけではないらしい。着崩したりはしているものの、きちんとしたマットーの軍服だった。
「ごッめんなさァーい! 寝坊しちゃいました! てへへー」
「てへへじゃないってば。これが有事だったら大変なことに――」
「まーまー、そんなことより」ネユをくいくいと指差してコロンの説教を遮り、「昨晩はお楽しみだったみたいじゃないですか」完璧なウィンクを作った。
「……そのことだけどね。あんたたち――」
「あのマフラーが隠してるのは、ただの虫さされじゃないでしょ?」
 どきり。
「うぐ……」コロンは二の句が継げなかった。
 ナリスは声を落としてうひひと下卑た笑みを浮かべる。「いやー、昨日はマリーが寝始めちゃったから、客室に連れてって、ゆきと戻って来てみたらふたりともいなかったもんだから、こりゃァネユ先輩の部屋にしけこんだんだろうなー、って言ってたんですよ。さしものわたしも、その先は悪いなァと思って遠慮しましたけど、なんだかもんもんとしちゃって全然寝付けなかったなァ」
 確かにナリスの目元をよくみれば、くまを隠すためか薄く化粧しているのを発見した。
 コロンがぎろりとキキを睨むと、キキはあちゃーという顔をしていた。言い逃れをする気はもうないらしい。
「でもでもやっぱり気になるって言うか、実際問題、ネユ先輩とはどこまでいったんですか? おとなのちゅーは当然として」
「――え」
「こどもは早く寝ろっておっしゃったぐらいですから当然先輩たちはおとななんですよね? どんぐらい進んでるんですか? くんずほぐれつー! って感じ?」
「そ、そりゃァ――」
 進んでるも何も、接吻の時に舌を入れたことさえなかった。無論、その発想はあったし欲求もあったのだが、ネユはただのキスでふらふらになるぐらいだから、舌なんてからませたら失神するんじゃないかと怖くてまだ踏みきれていなかった。
 自分の顔がだんだん熱く火照ってきているのがわかった。キキの顔を見ると、いかにも興味津々といった風情でこげ茶色の瞳を輝かせていた。
「て、ていうかね、どこまで聞いてたのよ、あんたたち」
「――罪悪感なんて、忘れさせたげる。までしか聞いてないですよ? いやー、先輩かっこいいなー、わたしまで惚れさせる気かって! ま、そういうわけですから、本日はぜひとも愛に恵まれないこどもたちにその先を、どう忘れさせたのかをご指導願いたく!」一生のお願いと言わんばかりに手を合わせて懇願してくるナリス。
「……そう、指導してほしいんだ」関節が白くなるほど握りしめた拳が、わなわなと震えだすのがわかった。「ならみっちり身体に叩きこんだげる。自分たちがこどもだってことを、忘れさせたげる」
「おおー!」「待ってました!」
 キキとナリスが揃って居住まいを正して神妙に聞き入る体制を取ったところへ、
「――ふたりとも、ハンガー外周三十周!」思いっきり怒鳴りつけた。
「ええェー! それはないって!」ナリスが不服を唱える。
「ぼくは覗きはよくないって、一応止めたっすよ!」
「結局一緒になって覗いてたんでしょ? しかもさっき嘘ついたからナリスよりも重罪。六十周追加」羞恥をごまかすための措置でしかなかったが、たるんだ部下の気を引き締めてやるために、教育的指導も兼ねてコロンは心を鬼にする。「一周一分超えるたびに三周追加ね。はい、三秒以内に駆けあーし、はじめ! さーん、にーい」
「先輩の鬼! 悪魔! 鬼畜! バカ! そんなのぜったい無理!」泣きごとを叫びながらナリスが駆けだしていく。
「五十周までならぎりぎり釣り合うと油断したぼくが間抜けだったっす……」キキがどんよりとした面持ちでナリスの後を追った。



 最後の一周を完遂し、なかば崩れ落ちるようにして地面に倒れ伏すキキを見て、コロンはうつらうつらしていたマリーを揺さぶった。
「……ふわ。……あ、あれ? マリー、寝ちゃってた?」
「うん、でもマリーは今回お咎めなしにしとこう」
 マリーが理解が及ばない様子で首をかしげて、小さく欠伸を漏らし、「あれー? なんでキキちゃんとナリスちゃん、そんなに汗だくなのー?」
「おいたしたからだよ」
 キキもナリスも息を荒げ、大の字になって地面に寝転がっていた。走り込みならキキはしょっちゅうやっているはずだけれども、さすがに九十周は過酷だったらしい。
 ナリスに至っては七度も時間超過してしまったために、最終的に五十周はしており、倍近く走っているキキと十分ほどしか変わらないタイムだった。もっとも、軍に服役していないにしては体力が多い部類ではあった。本業は歌手なのだし、肺活量などは鍛えているのだろう。
 ふたりへの罰が終わっても、ウェスタはついぞやってこなかった。通話にも出ないし、よもや非常事態とも思えなかったので、議会にでも呼ばれたのだろうと決めつけてほったらかしにしておいた。
 ぱんぱんと手を叩いてみんなの注意を引く。
「はい、じゃ、まずミーティング始めよっか」
 ナリスを正式に加えて部隊編成するにあたって、立ち位置を明確にしなければいけなかった。一年間だけだし、コロンとしてはお飾りでいてくれた方が助かるのに、ナリスは前線に出たいと言って聞かなかったのだ。
 ただし模倣王鍵――分子九重車は戦力からは省かなければならなかった。ナリスが自分の身を守るためだけに用いるならいいが、マットーの兵器をミミッドの軍備として運用するなど論外だし、そうなると議会の承認が必要になってくる。長ったらしくまわりくどい議論も交わされるだろう。結論が出るまでに一年経ってしまうことはお歴々だったので、それだけは避けたかった。
「とりあえずナリス、イナリの魔術がどんな魔術か、教えてくれない?」
「あ、うん。でもたぶん、見てもらった方がてっとり早いんで、実演しますね」こともなげに言って、コロンが飲んでいた空の紙パックをひょいと奪って宙に放り投げ、手をかざした。
 紙パックは空中で縦にすっぱりと断ち割れ、ざくざくと短冊状に引き裂かれる。同時に、紙屑と化したパックは発火。灰になって大気に溶けた。
「うわー! かっこいー!」マリーが歓声を上げる。
「ふっふーん、もっと褒めていいのよ?」したり顔になるナリス。
「摩擦断層、っすかね……」キキが真顔で分析する。「でもその魔術で、先日の通路をどう打破するつもりだったんっすか?」
「壁をぶち抜くつもりだったわよ?」
「そっすか……」
 粒子の流束を界面としてやすりに見立てた線形運動魔術。紙パックは切断されたのではなく、厳密には磨り潰されたに過ぎないようだった。
「中距離火力支援向きですわね」ネユが困ったような、安堵したような表情になった。「正直、前衛の魔術じゃなくてほっとしましたわ。客人を盾にしているなどと思われたくないですもの」
 コロンも首肯する。ネユとおおむね同意見だった。
 あっさり魔術を披露してくれたことにも驚いたけれど――さすがはマットーの御仁か――、ミミッドではみたこともない魔術大系にもコロンは感嘆していた。
 今のは最低まで出力を絞っているだろうから、実戦で使えばどれほどの破壊力を誇るのだろう。断層面積の積分経路をどこまで設定できるかが鍵になりそうだった。キキの魔術のように多岐にわたる用途、とまではいかないだろうが、物理的な防壁としても使えそうだ。
 積分器を持たせて機関獣に乗せるのが妥当なところだろう。魔術の隠密性と機関獣の機動性をうまく生かせられれば優秀な急襲役となる。
 ネユしか遠隔魔術と浸透戦術を使えなかったのが第一騎士隊の悩みだったが、これで戦術の幅も広がった。
 あれこれと想像しているうちに、コロンはだんだん高揚してきていた。
「おっしゃ、じゃァ次はあれいっとこー!」コロンは百メートルほど先にうずたかく積まれていた土嚢を示した。
「おー!」ナリスもノリノリで指揮者よろしく指を振るう。
 巨大で鋭角的な爪痕が土嚢の上を縦横無尽に走り、表面が摩擦熱で黒く焦げる。砲撃を受けたかのように砂と土ぼこりが盛大に炸裂し、巻き散らかされた。
 まだまだ手加減しているだろうけれども積分器なしでこの威力、この射程なら十分実用可能だ。
 コロンが次なる標的を探しかけた途端、
「……あれは誰が片づけますの?」非難がましいネユの質問が飛んできた。
 コロンは思わずナリスを指差すも、ナリスもまたコロンに人差し指を向けていた。
「先輩がやれって言ったんじゃん」
「いやいや後処理も含めてでしょ」
「えー! そんなの聞いてな――」
 ナリスの抗議はしかし、突如として訓練場に鳴り響いたけたたましい警鐘によってかき消された。
 第三種警戒態勢――すなわち、出動準備命令。
「……わたし、そこまで強く引っかいてませんよ?」ナリスがとんでもないことをやらかしたんじゃないか、という顔になる。
 そしてどこからともなくウェスタが現れる。「遅れて申し訳ありません。昨日の夜から雲にまぎれて、何者かがミミッドに接近しているようだったので今まで観測していました」
「悪いと思ってないなら謝んなくていいし。で、そのならず者は何だったの? 海賊?」コロンはそうであることを本心から願いながら問うが、
「いえ。近隣スフィア、ハサマドの小型船です。十隻ほどで隊列を成して接近中。一時間後には上陸します」
 スフィア・ハサマドは明け透けに言ってしまえば弱小スフィアだ。
 軍事力だけを評価するならミミッドに勝るとも劣らない。が、超密生体鋼盤の規模は小さいから蓄えもないし、連合にも加盟してないために後ろ盾もないから、実質はミミッドよりも格下だ。手先が器用で精密な魔術を得意とする狸態や豚態LMOが多く、頑固で昔堅気で職人気質な性格の、内向的なスフィアで、コロンがネユに贈った指輪も実はハサマドの鍛冶職人が作ったものだったりする。
 鉱物が潤沢なミズシとは唯一親密にしていて、ミズシと一緒にスフィア連合を抜けたほどだった。
 ただ、ミズシと仲がいいといっても、ハサマドが好戦的な理由にはならない。ミミッドと同じで戦闘力もないし、ハサマドの存在は誰もがミズシの金魚のフン程度にしか思ってなかった。つまり、ハサマドから戦争をふっかけるなど前代未聞の大事件だったのだ。コロンはウェスタの報告を聞いて、驚愕を隠しきれなかった。
 ミズシにそそのかされたか、脅されたか、あるいは秘められし忠義を発揮したのか。
 なにはともあれ、これは前回のミズシの襲撃や伯爵艦内での襲撃事件の続きだ。こうやって絶えずちょっかいを出してくるのは、奇襲を捨てる代わりにミミッドを消耗、孤立させ、ミズシは全面戦争の準備を整えていることを示唆している。ミズシとの決戦まで秒読みに入ったのだ。
「小型船一隻あたりパワードスーツ三着、装甲機動ユニット一機を搭載している模様です。大型の兵装は所持していないようです。模倣王鍵らしきものも見当たりません。敵の先発隊、外周に配置されたこちらの部隊とまもなく交戦」ウェスタが衛星を介して観測していた。
 ハサマドの経済力がミミッドと同程度、つまりステルス機能を持つハムを持ってなかったのが、せめてもの救いではあった。衛星でハムは観測できないため、前回のミズシの襲撃の際は敵がスフィアに上陸してからの迎撃になってしまったからだ。辺境の出撃など、追いつくはずもなかった。ハサマドの襲撃も雲に潜んでの襲来だったが、一時間前にはなんとか捕捉できたのでぎりぎり間に合ったと言える。
 ミズシにとってハサマドはたぶん斥候だ。ミズシとの決戦の幕開け、前哨戦にすぎない。しかもハサマドの登録している王鍵、量子揺籃、あるいはエア・クォンタムクレイドルは、ハサマド自体が無名スフィアゆえに得体が知れない。ハサマドは全力で攻めてきたのだろうが、ミミッドは本隊の戦力を曝け出したくはない。今回は戦闘準備も万端だろうし、辺境の騎士隊だけで対応してほしいところだった。
 一方、機関獣やパワードスーツをハンガーから搬出し終わったマリーたちは、あろうことか待機任務中だと言うのに無線でしりとりを始めていた。ミミッドとハサマドの戦闘能力は互角だから、めったなことでは防衛ラインは破られないだろうと高を括っているのかもしれない。防御より攻撃が段違いに難しいのだから、それはあながち間違いではない。
 どうやらキキの個人回線を使用しているつもりらしかったが、コロンも知っているチャンネルだったために全部駄々漏れだった。そもそもマリーが長い間黙っているものだから怪しくて仕方がなかった。
 ちっとも反省してないなあと内心苦笑いだったが、意趣返しのつもりでとりあえず盗聴する。
『ブラマンジェ、っす」
『え、え、え、エグゾーストパイプ』
『えー! マリー、また「ぷ」なのー!? ナリスちゃんいじわるだよー』
『しりとりを競技として成立させようと思ったら、同じ言葉で攻め続けるのがセオリーでしょ? ほら、はやくはやく』
『ぷ、ぷ、ぷ……あ! プロパガンダ!』
『へェ、単語の意味はわかんないけど、なんとなく聞き覚えがないでもないわ……よくそんなの知ってたわね、やるじゃない』
『えっへへ! マリーも意味はわからないけどね!』
『昨日授業で出たっすよ、ふたりとも。すみれさんはぐっすりおやすみしてたっすけどね』
『う……そ、そんなことより次は「だ」ですよ、ウェスタ先輩!』
『ダッ――』
「おまえもやってたんかい!」反射的にコロンはインカムに向かって叫んでいた。
 途中まで微笑ましかったのに色々と台無しだった。きゃあきゃあと娘三人がわめき始めたチャンネルから接続を切って、コロンはため息を漏らす。
「この有様では、ライラさんがお怒りになるのも無理ありませんわね。いくらなんでも締まりがなさすぎですわ」コロンの隣で気疲れしたようにネユがぼそりとこぼす。
「……あの、ネユ? 聞いてたなら止めてよ?」
「コロンさんも聞いてたじゃありませんの」さっと緑の瞳を反らすネユ。
「いや、まァ、そうなんだけど」
 と、ウェスタが口を挟む。「コロンさん、報告します」
「さっき言いかけた言葉は続けなくていいからね」
 おおかたハサマドが、ミミッドの守りがいかに堅牢かを思い知って撤退準備でも始めたのだろうと思いきや、
「外周、突破されました。我々も出動すべきだと自分は判断します」
 本日二度目の驚愕だった。



 二頭の無人機関獣にマリーのパワードスーツを分けて積載してから、コロンの部隊は首都を発った。
 ジュリアの第二生徒騎士隊は当然のこと、第五までの騎士隊は防衛線を突破されてまもなく派遣を命じられ、交戦予定地点に到達していた。コロンの部隊は出発する段になって、誰が何にどう乗るか揉めたために出遅れていた。
 普段なら機獣だけで運搬できるために、コロンたちに輸送ユニットを使う癖がなかったのも裏目に出ていた。ユニットに余りがないわけではないが、メンテナンスや各種申請が億劫だったのでなるたけ避けていたのだ。
 結局、キキの装甲した機獣にコロンとネユが騎乗し、無人機にマリーとウェスタ、私物だから戦場に持って行きたくないとごねられたがナリスには自前の小型機動ユニットにまたがってもらう配置で決着した。ナリスの言い分は至極まっとうだが他にやりようがなかった。
 いかな最新型でも小型機動ユニット程度でキキの機獣に追いつくのは本来不可能なはずだったが、ネユが電子的なリミッターを解除してみると、機獣に勝るとも劣らない速度を出せるようになった。ナリスが折れたのも、そういうわけだ。
 辺境の騎士隊の話を聞く限り、防衛ラインは相当切羽詰まっているらしく、中央騎士隊が十分な戦闘準備を整えて最終防衛線を築くまでの間、敵軍の侵攻を妨害するために生徒の中でも精鋭の隊が選抜されて前線に出ていた。コロンたちも、キキの実家がある地方へ急いでいた。
『きみが第一生徒隊のコロンデン隊長か。はじめまして、キキ家当主、しゅうきだ。いつも娘が世話になっている』
 コロンは数分前に、初めてキキの父親と体面した。防衛ラインを突破していったハサマドを追跡しながら、キキのCPを通じて映像通話をかけてきたのだ。キキの父親がキキの兄たちと辺境で騎士隊を率いているという話をした覚えがあったので、ちょうどこちらから状況を訊ねようと思いかけた頃のことだった。
 画面に二十代後半の二枚目の男性が映った時は兄の誰かかと思ったが、自己紹介を受けてコロンは愕然した。後でキキに問い詰めると、おんとし四十を超えていると聞いて、狐につままれた気分になった。
『早速だが本題に入らせてもらう。敵性パワードスーツは全機、小型の重力兵器を装備しており、あらゆる通常兵装と魔術的手段を受け付けない』
 重力兵装は超高級品だ。ハムも買えないスフィアが簡単に手を出せる代物ではない。それを数十台も。いったいハサマドのどこにそんな金があったというのか。
『これはぼくの勘だが、ひょっとするとパワードスーツは無人かもしれない。どうにも動きや反応が人間的ではないんだ』
「え? でもそれって……」
 キキの父親がこっくりと相槌を打つ。『あァ、ありえないんだ。だからどうにかして、内部解析していただきたい』
 重力兵装のような高位兵装は、悪用防止やセキュリティを考慮した結果、起動時にNEMESISの部分認証を行うことが、連合議会の法令によって百年以上前から義務付けられている。機関部の稼働そのものに、NEMESISの遺伝子情報が必要なのだ。
 ついでに機械や電気機器のエネルギー源をすべてNEMESIS依存にしてしまえばバッテリーや燃料タンクを作る手間が省けて生産者側としても効率的だし、機器自体のコンパクト化にもつながる。互換性も向上する。消費者側としても燃料切れなどの面倒も回避でき、盗難防止にもなって助かる、という塩梅だ。
 戦場でも同じ理論が適用される。さまざまな用途の機動ユニットもパワードスーツも、動力供給源は搭乗者のNEMESISだ。前線では魔術が飛び交い吹き荒れるために大気中のNEMESIS濃度、魔術的雰囲気の変動が著しく、いわゆるNEMESIS嵐が長距離通信類のほとんどを阻害するので遠隔制御が難しいのも課題のひとつだった。搭乗者は操縦者であると同時に、燃料なのだ。魔術を使用しない戦争が考えられない今、ミミッドのように戦闘員の不足に喘いでいるスフィアでもない限り、無人機に出る幕はない。
 いわばNEMESIS認証とは、時代の当然の流れみたいなものだった。身の回りのものあらゆるにNEMESIS認証が組み込まれたのは、なるべくしてなった技術と文化のかたちだ。連合以外のスフィアもみんな取り入れているし、ハサマドもミズシも例に洩れない、それが常識だった。
 NEMESIS認証がないなら重力兵装は既製品、市販品ではない特注品。ミズシとハサマドが団結すれば作れなくもないだろうが、奪われればいいように利用されるだけ。認証なしの高級武装に今さらどんな価値があるというのだ。
 それに無人機にしたって、機獣のように安価で扱いづらい仕様にしておくものだ。戦場において、すべての騎士が強力無比な魔術を操る士官である以上、無人機とはただの兵士、デコイや盾でしかない。重力兵装を積みこむなど、なまなかな価値観ではもったいなくてできない。
 迎撃予定地点に到達する。
 辺境の町の郊外で、ハサマド軍と生徒騎士隊が交戦していた。数時間前までは、小麦畑は燃えるような黄金の海原を誇り、牛や馬がのどかに草をはむ牧歌的な風景が広がっていただろうに、今や敵のパワードスーツにすっかり踏み荒らされていた。開墾途中の田畑も時たま装甲機動ユニットから放たれる砲弾や魔術で土を掘り返され、あるいは家畜小屋が焼き尽くされていた。しばらくの間は復興が絶望的であることが見てとれる。ミートパイが高くなるなとコロンは内心でげんなりした。
 早速家屋の物陰で全員で積荷を下ろし、身軽になった無人機関獣にネユが乗り込んで魔術を行使、光学迷彩で己の姿を隠した。コロンが頷くと同時に三頭の機獣は大地を蹴って散開する。マリーが白銀のパワードスーツを装着し始めるのを尻目に、コロンは戦況を確認。
 ちょうど先行していたジュリアの部隊が、目と鼻の先で戦闘を繰り広げて敵性パワードスーツを食い止めていた。
『……ご苦労様です、先輩』ジュリアからの無線通信。
「あァ、うん、遅れてごめん。状況はどんな感じ?」
『……こちらの被害は、さほど。……でも、あちらには傷一つ負わせられてないです』
 まさに眼前で、クラウチングスタートの態勢を取っていたライラの赤いパワードスーツが、踵にまとわせていた泡沫のようなものを踏みつぶし、轟音とともに爆発的な初速でハサマド軍に突撃。赤い颶風となって迫る。背中に折りたたんでいた剣型NEMESIS積分杖を展開、踊るようなステップで踏み込み、等間隔に穴のあいた刀身が伸びきると同時に薙ぎ払うも、寸前で重力波が放たれ剣先をそらされる。
 次いで剣の穴――環状増幅機構から吐き出された無数の泡が剣の軌道に沿って飛び、鋼の帯のように煌めく。ライラが足裏に生みだしたあぶくを踏み台にしてさっと離れるや、散乱していた泡は爆発。連鎖的に反応し、敵性パワードスーツが爆風に包まれる。
 だが、辺りに立ち込めた黒煙を割って、砲弾が射出される。コロンたちめがけて焼けた鋼鉄が飛来。生体鋼盤さえ穿つ砲弾がコロンたちを粉々に砕く直前、陽炎のようなものが立ちはだかり、まばゆい輝きを迸らせた。
 通常のものよりスリムな形状の青いパワードスーツが、一条の光を伸ばす汎用NEMESIS積分杖を抜き放ちながら陽炎の中から現れたかと思うと、閃きとともに砲弾が蒸発した。溶けかけの鉄片が飛び散ってイオンカウルに弾かれ、足元をじゅうと焦がす。
『……お怪我はありませんか? ……ご覧の通り、わたしたちも手も足も出ない感じです。……二週間前のミズシの方が、まだやりやすかったですね』ジュリアのパワードスーツが再び陽炎となって、敵軍を足止めするためライラに続いて突っ込んでいった。
 敵性パワードスーツは三機でひと組だった。パワードスーツがそれぞれ正三角形の頂点を成し、重力が干渉しあわないようにお互い距離を置いて進軍しつつ、騎士の乗った装甲機動ユニットを中心に据えて砲台の役目を担わせているようだった。
 パワードスーツには攻撃用のAIは書きこまれてないらしく、ただひたすら装甲機動ユニットを護送するように隊伍を組むだけ。思い出したように火器で反撃してきても、威嚇と制圧射撃のみだった。
 重力兵装はミズシの模倣王鍵と比べても出力は遥かに落ちるようだったが、それでも無人機一体一体が装備しているとなると、かなりの脅威だ。効果がないとわかっていても他に手がないため――それと経済的理由により――、こちらは積極的に肉弾戦を仕掛けていくしかなかった。もはや消耗戦と言っても差し支えないほど、趨勢は傾いていた。
「解析完了。敵機は旧型の水素燃料エンジンで稼働している模様です。重力兵装以外は火薬系銃砲兵器のみ」ウェスタが無機質な金瞳を細めて言った。
「無人機の癖に爆弾一つしょってないなんて、ヘンなの……」
「水素燃料も一点に集めれば首都を吹き飛ばせそうですが」
「いくらなんでも、首都のど真ん中で爆弾こさえる度胸はないでしょ。重力兵装に未練があると思えば自然っちゃ自然だけど、なーんか引っかかるなァ」コロンはハサマドのよからぬ企みを感じていた。
 だがハサマドの真の狙いには、杳として思い至れなかった。このままじわりじわりと進撃を続けていれば、いずれ首都占領も不可能ではないが――ハサマドはその後どうする? 鉄壁の守りを備えてはいるが機動力のまったくない、たかだか無人機三十機、騎士十人で何ができる? まさか本当に首都で爆弾でも作る気なの? 
 現実的ではなさすぎる。それゆえに、何か大事なことを見落としているような気がして、漠然たる不安がコロンをさいなんでいた。極力、ここで追い返すなり壊滅させるなりして首都に近づけたくなかった。
 もう少し先に行けば戦術魔術や兵器を使える広さの土地に出る。さっさと使用許可の申請をして、そこまで誘導するのが得策だろうか。さすがにナリスの傍で魔女の魔術をひけらかすわけにはいかず、ネユの奇襲じみた雷撃も通じるのは一度だけ。せいぜい二、三機焦がすのが関の山だ。ミズシ襲撃では使い道のなかったネユのあの奥の手も、最後の瞬間までは取っておきたい。
 ――いや、待てよ。コロンは閃く。その手があったか。
「空中からはもう仕掛けた?」ジュリアに問うてみる。
『……ええ、頂点は一番薄い箇所のようですが、勾配をつけられているからか、……うまくかわされました。……強力な光学兵器か、いいアンプがあれば、もしかするとわたしが破れそうですけど』
「そう。じゃ、下からは?」
『……いえ。……あァ、なるほど。……さすが先輩、素晴らしい機転ですね』
「ジュリアの察しの良さもずば抜けてると思うけどね」
『……いえいえ、先輩の当意即妙な頭脳の右に出るものなどこのスフィアにはいないです』
「いやァ、そんな褒めても何も出ないよ?」
『……発想が柔軟です』
「そ、そお? ジュリアぐらい可愛い子に持ちあげられると、お世辞でも嬉しいなァ」
『……思考が奔放です』
「ふふ、ふ、やっぱもっと褒めていいよ」
『……頭が軽すぎです』
「おい」くすくすと鈴が転がるような心地いい笑い声を聞き流しながら、「じゃ、おたくのわんちゃん借りるよ。マリー、おいで!」部下の名前を呼びてきぱきと指示を飛ばす。
 ライラが前線から下がってくる。『まさかコロンデン先輩に世話になる日が来るとは思わなかったっすわ』明らかに嫌そうな声音。
「あたしもね。ま、今だけでもよろしく、ミタライ後輩」
 ライラはキキやマリーとはクラスメイトで仲良くやっているようだったが、氷炭相容れずと言うか、コロンとはなぜか馬が合わなかった。狼態LMOは狐態や犬態と相性がよく、その逆もまたしかりであるのが定説なので、ふたりの不和についてはみな首をかしげざるを得なかった。事実、ナリスとは何の問題もなく親睦を深められている。
 毎日部隊控室でぎゃあぎゃあと騒ぎ立てているのを止めないからだとジュリアは何度か忠告してくれたものの、たぶん根本的な部分からして、なんとなく噛みあいそうにないので無益な努力だとコロンは決めつけている。第一、コロンには自分の部下を黙らせる自信がなかった。
 マリーとライラが配置につき作業を始める。入れ替わりにキキの機獣や第二騎士隊の他の子が前に出て敵軍を撹乱し始めた。突破力に重きを置いた第一生徒騎士隊と違って、第二騎士隊は打撃力に優れている。重力防壁なしでは一撃で隊列を脅かすような、苛烈を極めた猛攻をしかけていく。
「ナリス、ド派手なのを頭の上にかましてやっちゃって」
『そーゆーのは得意だから、まっかせてちょーだい!』ナリスが敵軍上空を旋回しながら、携帯積分杖を地上に向ける。
 一瞬の静寂が戦場を包み、大気が炎上。急激な摩擦で生みだされた深紅の炎が天蓋となって、ハサマドの軍勢を覆い尽くした。莫大な熱量の波が戦場を伝播していく。誰もが何事かと空を仰いでいた。コロンは暑さで首筋に一気に汗が噴き出てくるのを感じながら、さすがにちょっとやりすぎだと思った。
 ほんの刹那、頭上に気を取られはしたものの、ハサマドは相変わらず無傷で歩を進めていた。こちらの仕掛けに気付いた様子はない。コロンはほくそ笑む。重力兵装を使用していなければ、今の魔術は攻撃意思のないただの演出だと一発で察せただろう。空間を隔てる万能過ぎる防壁は、時として状況判断を見誤らせるのだ。
 ハサマド軍の最後尾が、ひらけた地域に差しかかる。「マリー、ライラ!」コロンはすかさず合図を送る。
 白と赤の巨体が円筒状の戦術展開用手投げ積分器を地面に叩きつける。
 大音声とともに、敵軍の足元が次々と爆破されていく。ナリスが注意をひきつけている間に、エネルギーを凝縮させた気泡や結晶の魔術を地下に浸透させておいたのだ。
 離れていても座り込んでしまいそうな縦揺れが、辺り一帯を包む。大地から土くれや作物、岩盤の塊が吹きあげ、天に向かう瀑布のように巻きあげられる。ハサマド軍は足場をひっくり返された上にデブリに視界も飲み込まれて、きっと天地の判別もつかなくなってるだろう。
 マリーがもう一本、手投げ積分器の安全ピンを抜いてぽいと投げ捨てる。突如としてウェスタの精密な計算に基づいた、巨大な氷の構造物が顕現。
 長大でぎらぎらと日の光を反射するそれは、砲身。精緻で武骨な氷細工。透明な武力の具現。
『バレル、薬室よォーし!』マリーの威勢のいい声。
 待ちかまえていたかのように、即席のカノン砲が出現するなり一頭の機獣が駆け寄り、『ライフリング、マズルともに準備よしっす』即座にキキが報告。
 マリーが中継積分弾頭を慣れた手つきで薬室に叩き込むのを確認し、
「ってェ!」
 コロンの掛け声とともに、点火。弾頭が発射、重々しい低音で無色の砲台が吠える。
 回転紡錘体で絞られ音の壁を突き抜けながら、弾頭は込められたマリーの魔術を展開し、人の胴ほどはある極太の氷柱となって煙幕の中に突入。けたたましい金属音と、空気を揺さぶる振動、確かな手ごたえだけが返ってくる。
 氷の砲撃は、第一隊が発揮できる最大威力の物理的攻撃手段だった。音速の数倍に達した速度とあの質量だ、かすっただけでも半壊は免れず、直撃すればパワードスーツも装甲機動ユニットも消し飛ぶ。そして敵が踏みしめていた大地ごと地雷で持ちあげて態勢を崩したところへの、駄目押しの砲撃だった。まともに防御できなかったように聞こえたし、衝撃波も合わせて半分は持っていけただろう。誰もがそう実感し、堅牢な要塞のようだった軍勢に一杯食わせてやれてわずかに気を緩めた。
 農家の人には悪いが、きっと馬鹿でかいクレーターがぽっかり空に向かって口を開けているはず――だったが。
「中心部で膨大な熱量反応、構成されています――!」ウェスタの警告。
「……構、成?」
 薄れてきた粉塵の中から、ぬっと数十メートルはある複数の関節を持つ金属柱が突き出し、大地にずんと打ちつけられた。内臓に響くような地響き。それも一度ではなく、二度も三度も。否。
「柱じゃない……ね。驚いた、脚だわ、あれ」冗談にしか思えなくて、笑いさえこみ上げてくる。
 あまりに現実離れした光景。
 天を衝くほどの極大の機械蜘蛛が、クレーターより這い出てきていた。
 長く太い鐘楼のような八本足にちょこんと乗った球形の胴体。まさしく蜘蛛としか形容しようのないそれは、拡大しすぎた模型めいていた。低い唸り声をあげ、地ならしするがごとくゆっくりと金属脚を振りおろしながら、ハサマド軍が蹴散らされたはずの場所で、機械蜘蛛は確かに存在していた。
 複数で乗るタイプのパワードスーツはあるが、コロンはあんなデカブツの存在は聞いたことも見たこともなかった。戦略兵器と呼ばれるたぐいのものだろう。
『……あれー、あんなのあったっけ? マリー、また寝ちゃったのかな』マリーが呆然とひとりごちる。
「いや、こりゃ、たぶん、あたしの夢だ、うん。きっとそう……」自分に言い聞かせるようにコロンは繰り返すが、
「急速な温度上昇――、熱化学兵器来ます!」再度ウェスタの申告。
「総員、防御態勢!」コロンが叫びながら掩蔽体に飛び込んだ瞬間、八本足に支えられた球体の複眼がちかちかと点滅。瞼を閉じても網膜を焼かれそうな強烈な閃光。
 コロンの背に高熱が浴びせられ、狼型尾状形態デバイスの毛先がちりちりになったのが感じられた。すんでのところで石造りの塀に潜り込んで熱波を回避したコロンは、激しい光に痛む眼をかばいながら周囲の様子をうかがう。
 端的に表現するなら焼け野原。もしくは荒野。
 異様で奇怪で醜悪な地上絵が、ミミッドの大地に製図されていた。
 大蜘蛛を中心に、いくつものえぐれた同心円が螺旋を描くように広がっていた。円周上は真っ黒になってくすぶるか、残り火がぱちぱちと爆ぜているかのどちらかで、そこが熱線のなぞった跡ということを如実に語っていた。コロンが隠れた塀も、熱線に直接被弾してないにも関わらず石の表面が焼け焦げていた。
 塀の影に転がり込んだはずみで、あたかもミミッドとは違う別の世界に迷い込んでしまったんじゃないかと錯覚するほどの変貌だった。もともと戦闘行為で平野は荒れてしまっていたが、ここまで――地形が歪むほどではなかった。
 不意打ちじみた超高々熱の鉄槌に打ち払われ、騎士隊はほとんど壊滅していた。スフィアのイオンシールドに届かん高さの機械蜘蛛を取り巻くように、ミミッドのパワードスーツや機動ユニットの残骸が飛び散っていた。おぞましいその絵に、騎士のみんなが塗りつぶされていた。慌てて部下のバイタル信号を確認すると、コロンの部隊は全員健在だった。コロンは救われたような思いだった。
 だが、ジュリアの部隊は悲惨だった。指揮していたジュリアと地雷を潜ませていたライラ以外は、ハサマドを吹き飛ばすぎりぎりまで敵の真近くで陽動していたのだ。身を隠すものなどなかったために、無残にも跡形もなくこの世から消え去っていた。ジュリアの、部下を呼ぶ声が、むなしくこだましていた。コロンは疼痛を訴え始めた胸を無視して機械蜘蛛を睥睨する。
 上空から機械蜘蛛がごうんごうんと低い機械音を鳴らし、地上ではたった一撃で阿鼻叫喚となって生徒たちが塹壕や掩体を求めてなかば潰走し始めていた。たかが機械相手に、まるで成層圏の無酸素生物や、スフィアの遥か下を徘徊する大陸生物を相手にしたかのような地獄絵図。
 圧倒的過ぎた。これが戦争、一方的な虐殺。ただしき闘争、侵略のあり方だ。
 どこかに逃れていたウェスタが身を寄せてくる。「あの構造体は三十機分の水素燃料エンジンを……」いつになく言葉を詰まらせるウェスタ。「何と言いますか、核融合炉に練り上げて動力としている模様です。機体自体も、砲撃で破壊されたパワードスーツをその場で合体、作り直して再構成したように見えました」
「……合体、ねェ。模倣王鍵、かな? よくわかんないけど、厄介ね……いや本当に厄介だわ。困ったな、こりゃ」
 コロンが抱いていた違和感は的中していた。ハサマドはおそらくだが、首都にもっと接近するまでこの巨大戦略兵器を隠蔽しておきたかったのだろう。こちらの火力不足に付け込んで、ものの見事に資材をパワードスーツという形でなるべく失わずに運び込む算段だったのだ。あの巨体はスフィア間の運搬で不便するという意味でも、分割して運び込んだに違いない。コロンたちが重力兵装の対抗策を講じたために、ここで蜘蛛の構築を余儀なくされたというわけだ。
 あの脚なら谷を掘ろうが山を積みあげようが難なく踏破できる。今度は探査も怠らないだろうし、もうブービートラップは通用しない。
 とんでもない隠し玉だ。まさかハサマドがここまでの作戦と実力を秘めていたとは――。
 複眼がもう一度ちかちかと瞬いて予備動作を見せる。かわしようも防ぎようもないのでコロンは頭をひっこめて、掩蔽体に命中しないことを祈った。地獄の稲光が天上から降り注ぐ。おびただしい熱量が、ミミッドの大地をかき乱す。
 一発目よりも被害は少なかったが、こう短期間で連発できるとなると、蜘蛛を観察するだけでも無謀な自殺行為。まったく手出しできなかった。
「核融合エネルギーを重力で絞って撃ち出しているようです」ウェスタが務めて平静に分析する。
「……水素燃料で自爆を匂わせてたのはブラフってわけね」コロンはほぞをかんだ。
 ミズシの襲撃のケースと比較して進軍が着実で遅すぎたために、ある意味緊張感が欠如していた。まんまと裏をかかれたのだ。要するに上陸した時点で、辺境の町ごと戦略魔術で消し飛ばせばこんな事態には陥らなかった。胴体があんな空にあって、最低でも三十もの重力兵装を装備しているのだから、蜘蛛が完成した今、撃墜はほぼ不可能だった。
 だけどまだ、終わってはいない。
 地に足がついている以上、なんとでもなる。
「――ネユ、生きてるんでしょ。食べちゃってよ、あの蜘蛛」
「まったく、危うく死にかけた領主に向かってなんて言い草ですの」無線で声をかけたつもりだったが、すぐ真横でばぢぢぢと紫電がほどけ、全身土まみれになったネユが現れた。
「あ、そんなとこにいたんだ」
「御挨拶ですわね。さきほどの衝撃で機獣から振り落とされたんですわ」ぱたぱたと服をはたいて土を払うネユ。
「それはそれとして、いっちょ頼むよ、あれ」
「一言申しておきますけど、あれは貴重なネユ家の権能のひとつであっておいそれと――」
「まァまァ、他に手立てがないんだし、そこをなんとか」
 小山のような機械蜘蛛の出現で、衛星を介して、今この戦役は世界中の注目の的になっているはずだ。前回のミズシの件もあるので、コロンが魔術を働かせようと思っても議会の承認はたぶん降りないだろう。それに、あの熱線をかわしながら接近する必要もあった。
「仕方ありませんわね……では、謹んでご賞味あれ、ですわ。――乾の霆郭、その一片を」
 領主の血筋の魔術は、そのスフィアの王腱に準ずるものだ。
 魔術の性能や出力という観点において、どれほど強国のどれほど優れた名門の伯爵だろうと、最底辺の弱小スフィア領主に勝ることは、ない。なぜなら領主はエアレプリカと同等の魔術を、何の制限もなく外部デバイスにも頼らず単独で、その遺伝子の権能として行使できるからだ。
 ゆえに領主は絶対的な地位を持つ。領主が他の血に成り代わることだけはありえない。魔術そのものが、そのスフィアの支配者たる証でもある。領主は個人で、一個の小さなスフィアなのだ。
 ネユの羊型角状形態デバイスがばちばちと帯電し始める。足元の砂がざざざとひとりでにうごめき、幾何学的な紋様が形作られてくる。NEMESISではなく魔術認証。魔術による魔術の励起。途方もない魔術の予感。空気が張り詰めていくのが肌で感じられた。
 と。
「――あいた、たた……」家屋の影から、箒型の小型機動ユニットを杖にして明るい金髪の狐娘がよろめき出てきた。「なにアレ、ちょっとめちゃくちゃ過ぎない?」
「うぐ……タイミング悪ッ」コロンはネユをかばうようにナリスの前に立ちふさがった。「あはは、いやァ、無事でよかったよナリス」
「先輩、アレ、どうする気? わたしのエアレプリカを使って全力で演算すれば、多少時間かかりますけど、今から取りかかれば首都が潰される前にどうにかならないこともないですよ?」
「う、うーん、そうだなァ……」
 魔女の魔術もそうだが、ミミッドのエアだって軽々しく見せていいものではない。衛星越しなら評価のしようもないが、真横で観察されるのは芳しくない。かと言ってマットーのエアレプリカに頼るわけにもいかなかった。議会でも難癖つけられる破目になるだろう。
 ふいにイヤホンにノイズ。そして通信。『――答せよ、応答せよ、こちらキキ』キキの父の声。『そちらは無事か? 無事ならあの蜘蛛についての状況説明を求む』
「あー、ご無沙汰してます。あたしの部隊はなんとか」コロンは慎重に言葉を選ぶ。「一度は吹き飛ばしたと思ったんですけど、ハサマド軍は何と言うか、合体してあのナリです」
『ハサマドの模倣王鍵、量子揺籃だろうな。その本質は原子やイオンを取り込む一次元チャンネル型細孔だ。多孔質結晶を力学的に配列し、強制的に物質の組成を再編成、再結合する。万能かつ超高性能原子鋳型のようなものだ。レシピさえあればなんでも作れる。だから重力兵装に関しては、たぶん自作だ。おおかた、ミズシからの技術と素材提供があったのだろう』
「そんなすごい王鍵なのになんでハサマドは弱小なんだろ……」
『まず第一にハサマドは超密生体鋼盤が極めて小さい。伯爵艦も稼働させられないほどのエアの航空能力の低さから、生体鋼盤を小さくする他なかったために、王鍵を活かすための元素が少ないんだ。そしてエア・クォンタムクレイドルは万能ゆえに、演算と魔術の遂行自体に時間がかかりすぎる欠点を持つ。あれも、相当数の模倣王鍵がなければ作れないだろう。おそらく十機の装甲機動ユニットに搭乗していたものは全員、伯爵以上だ』
「え、それって――」
『今ここに、ハサマドの上位爵のほとんどと、十本もの模倣王鍵が集結していることになる。前回のミズシの比ではない。渾身の戦力投入なのだろう。これはハサマドにとって、少数精鋭による緩慢な電撃作戦だ』ずん、とナリスの真後ろに、一頭の機獣が降り立った。『とりあえず追いかけてみたものの、あれ相手では、ぼくが来たところで状況は何も変わらないな』
「うッそ、やだやだ、しゅうきさん!?」ナリスが通信に割り込んでくる。『来るなら来るって言ってくれれば、もっとマシな恰好してきたのに!』
『……すみれ、ちゃん、か? どうしてきみが前線に――』
 コロンはしめたとばかりに振り返り、ネユに目くばせする。ネユは無言で頷いて、魔術を急速起動。
 がちり、と空気中で極小の歯車が噛みあい、切り替わる感覚。そしてかすかな脈動、鼓動。それは機械蜘蛛が歩行する際の地鳴りとは違う振動。さながら地下を何かが進んでいくような――。
 にわかに大蜘蛛の身体の直下から、間欠泉のように肥えた土が大量にせり上がる。何本もの土の流束は蛇よろしく重厚な金属脚に絡みつきながら、蜘蛛の胴体へと迫る。
 蜘蛛が重力壁を発動。土砂は弾かれて四散。巨躯を取り巻いて空間全体に充満。暗黒の雲霞と化す。
 そして雲霞が雷雲のごとく規則的に明滅。電流を帯びる。ひとつの生命を思わせる律動だった。
 蜘蛛の眼が熱線を放つ。だが、内部で塵の濁流と蠕動が渦巻き、熱線を妨げる。超高熱を孕んだ飛散粒子が、蜘蛛を蒸し焼きにする。
 いったん雲霞に取り込まれれば、いかなる抵抗も無効化される。それがどんな物理的、魔術的行動であったとしても、だ。
 genetic Nano Electro Mechanical Elements Systems InterfaceS。
 遺伝的極小電気機素機構インターフェイス群。
 状態を自由にスイッチングして事象を記述する三相転移コンテキストを編み込んだ、精密機械状遺伝子。
 それがNEMESISだ。
 その管理、統制は使用者の神経を介し、脳からの電気信号でなされる。突き詰めれば魔術は電気機械による動作なのだから、電子、イオンの移動ですべて制される。ならば、電子の振る舞いを意のままに制御する魔術を用いれば、NEMESIS内を巡る電子さえ偏向的に操作できれば。
 ――NEMESISを機構として構築し、他のNEMESISを吸収して支配下に置く魔術。モジュールでありマニュピレータでもあるNEMESISを恣意的に操ることは、他のNEMESISを外部デバイスとして組み込んで段階的に肥大することでもある。やがてNEMESIS同士の双方向的な調和を惹起し、電子の流動そのものをNEMESISの挙動として、フィードバックし、動的な回路を形成する。
 それはまるで生命活動の一環である代謝だ。そのNEMESISは内と外に果てどなく影響を及ぼし続け、あらゆる物質と干渉を起こして量子単位でコンピュータ化させ、形而上の論理ネットワークを生みだすのだ。
 それが乾の霆郭。
 エア・エアライデンだった。
 すべての相に転移する魔女の文法を太古の宗教思想にのっとって、仮に色相コンテキストと名付けるならば、あらゆる物質を演算子として扱う乾の霆郭は、言わば空相コンピュータだ。
 電子の流れを血流とした、無機生命体。あるいは電子的寄生癌細胞、あるいは統合情報知能生物。呼び名はどうあれ、今、機械蜘蛛を囲っている塵芥はひとつの脳となっていた。
 重力兵装で防御できると言っても、空を飛ぶ機能がなければ、地面を伝って浸食、感染するエアライデン・ウィルスの魔の手からは逃れられない。核融合炉を手堅く移送するための陸路を行く手はずが、あだとなったのだ。
「掌握、完了ですわ。あの無粋な闖入者をどうしてくれましょう?」ネユが小声で指示を促す。
「そうだなァ……とりあえずバラバラに分解しちゃおう。なるべく地味に、ね。核融合炉も、重力兵装も、機能停止しちゃっといてよ」
 鋼の魔天楼のてっぺんにくっついていた蜘蛛の胴が、ずるり、と外れる。土砂で構成されたひとの手のようなものが、球体を受け止め、拘束した。頭を失った多脚が連鎖的に崩落していった。
 難攻不落の融合炉は、あっという間に陥落した。
「え、あれ!? 先輩、いつの間に倒しちゃったの?」ナリスが崩れていく蜘蛛に気付いて再三、仰天する。
「あたしがっていうか、まァ、あらかじめ仕掛けておいた秘密兵器的な何かが発動したんじゃないかなァ……あはは」これといって良い口上が浮かばなかったので、キキの父に意味ありげな視線を送ってみる。
『……あァ、そうだな、そういえば、ミミッドで極秘に開発されていた戦術兵器のひとつがこの辺りに眠っていたんだったな。ぼくがうっかりスイッチを入れてしまったのかもしれない』
 ――え。なにそれいくらなんでも言い訳が下手すぎる。
 コロンはなんとか口に出すのは踏みとどまったものの、息が詰まる思いだった。ネユもあからさまにどぎまぎしていた。が、
『なァんだ、さっすがしゅうきさんね! やっぱり英雄は一味違うなー』ナリスは感心したように、満面の笑みで機獣を見上げていた。
 なんだか腑に落ちずに突っ込みたくて仕方がなかったが、コロンは心のうちにやるせなさを仕舞っておいた。
 コロンは戦場を俯瞰した。ハサマドの十人の軍勢はひとまとめに捕縛できたので、戦役は幕を下ろしていた。一見しただけでも味方の負傷者は、多数。上位生徒騎士隊の大部分と軍備を失ったために、ミミッドは致命的な傷を負ってしまっていた。防衛側とは思いたくもない、大損害だった。
 救助活動を他の隊に任せてハサマドの伯爵たちを議会に引き渡そうと、コロンが重い足取りで蜘蛛に向かおうとした、その直後。
「報告します」大空の先を凝視しながら、ウェスタが知らせる。「ハサマド本土に動きあり。スフィアごと、物凄い速度でミミッドに移動中です」
「なん――え……?」ネユが口元を抑えて目を丸くしていた。
 ――全面戦争。来るべき時が来た、か。
 確かに絶妙な機会だ。こちらは甚大な打撃をこうむっていて、ハサマドも全力投入したてだ。利用する立場のミズシとしては、あとはハサマドに当たって砕けてもらうだけ。ミズシの襲撃と合わせて、心憎いほどの連携だと言えた。
「……一度首都に戻って装備を整えよう。今度こそ、総力戦みたいだし」
 スフィアの本土が正面から突っ込んでくるなら、あの機械蜘蛛クラスの戦略兵器や決戦兵器が一度に二機も三機も攻め込んでくるだろう。想像しただけで寒気がする。次こそは、魔女の魔法を強いられるはずだ。決戦に生き残ったあとの小言を軽減するためにも、前もって議会に議題を提出しておかねばならなかった。
「首都の議場に顔を出すのは必須ですが――どうやら装備を整える必要はないようです」続けてウェスタが、告げる。「スフィア・オロンドの伯爵艦が三隻、軍事的援助と称してミミッドに接近、開港要求しています。これはいくらかの抑止効果となるでしょう」
 コロンは、自分の顔面が引きつるのがわかった。
 スフィア・オロンド――考えうる限り、最悪の助っ人だった。



 オロンドの評判は、たぶんどこに行っても最低だ。
 実力派でもあり理論屋、技術国家であるオロンドは、議席数もスフィアの規模、経済力や軍事力もマットーにほぼ比肩していた強国だ。だが国家や民族としての性格はまさに正反対。なぜならオロンドは根っからの右翼。与党はいわゆるところの原型主義者だからだ。
 原型主義者とは、遺伝子内に三相転移コンテキストを受け入れることを拒絶した純粋なヒト種だ。研究熱心な割に、NEMESISなどなくてもひとは思想と直観と感覚と論理で真理を探究してきた、というのが持論で、あくまで倫理的価値観に基づいて魔術と肉体の融合を徹底的に拒んでいるのだ。オロンドは科学者でありながら、敬虔な宗徒だった。ゆえにオロンドはNEMESIS認証を導入してない数少ないスフィアでもある。
 LMOを大陸生物と科学的に交わった汚れた種族だと呼ばわり、マジックブラッド、あるいは乖離主義者どもとけなす差別主義者たちでもあった。
 だが決して魔術自体を嫌っているのではなく、むしろ率先して魔術の研究開発に勤しんでいる連中だった。魔術以外にも、NEMESISに依存しない最先端工学の先達でもあった。現存するアンドロイドや無人機の初期原型はすべてオロンドが発明したと言っても過言ではない。その分、LMOを兵器か実験生物としてしか認識しておらず、利用することすらいとわない。LMOが世界を席巻している現代では、オロンドは力を持ったつまはじき者だ。
 ナギミで魔女を作り出しておきながら、ミミッドに魔女を封じ込めろと言いだしたのもオロンドが主軸だ。その卓越した技術力で連合でも多大な権力を握ったオロンドは、ミミッドからすれば、国を食い物にした因縁あるスフィアであり、悪魔そのものだった。スフィア連合議会の議長もオロンド出身であるため、マットーぐらいしか意見できないのだ。
 オロンドの異質なエアも、オロンドを最低たらしめる要因だった。
 王鍵、坤の泥舟。またの名を、エア・アースシップ。
 人体を犯し、機械のように操縦する――史上最悪のエアだった。
 それゆえ、オロンドの名が挙がるだけで、何もかもきな臭くなるのだ。今後の展開にオロンドが絡んでくるなら、それは謀略の一端だ。下心なしにオロンドが他国に力を貸すことなどありえなかった。
 オロンドは、コロンやウェスタの生みの親のようなものだったが、憎みこそすれ、感謝したことなど生まれてこの方一度もなかった。大切なひとを苦しめ、縛りつけた元凶なのだし、オロンドにも愛情をもってコロンを創造したつもりなどなかっただろう。
 だがコロンは、オロンドの手先でもあるウェスタと四六時中一緒にいるにしては、今までオロンドの存在を感じた経験は一度もなかった。世界を焼いて清める上で、最終的に立ち塞がる敵であることは頭ではわかっていても、その全貌があまりに大きすぎるために、現実感がなかったのだ。
 実際にオロンドが近付いている。そう思うと、気鬱であるより、根源的な恐怖があった。
 ――創造主か。
 親という感じはしない。そう、いわば神様だった。神に盾突く魔女。皮肉な構図だ。
「元気がありませんわね」ネユがひそひそと話しかけてきた。「何か気にかかることでも、おありですの?」
「……ん、いや、なんでもないよ」コロンは無理やり笑顔を作ってみせ、事務的にカレーライスを口に運び始めた。
 打ち上げと呼ぶには不謹慎に過ぎるが、戦争の後始末や議会への報告が終わったのち、コロンたちはネユ家に荷物を取りがてら、コロンの発案で小さな夕食会を開いていた。戦闘と議会の後でくたくただったが、全員で協力して――コロンは火加減のみ担当して――カレーを作った。
 みんな普段自炊を滅多にしないので、お世辞にも素晴らしい出来とは言えなかったが、それでもたまらなくおいしかった。仲間とともににぎやかに料理をして、こうして顔を突き合わせて食べていることにだけ、意味があった。
「はー、しゅうきさん、かっこよかったなー。お父さんと一緒に写ってる写真データとか、映像通話とかでイケメンだってのは知ってたけど、やっぱり本物は格別って感じね……」ナリスが遠い目をして嘆息した。
「ねー! キキちゃんのお兄さんたちも、みんなかっこいいんだよ!」マリーが賛同し、
「あんなのでよければ、いくらでも貰ってやってくださいっす。父も兄たちも、ぼくの田舎じゃ、全員女日照りなはずなんで」キキが肩をすくめて苦笑する。
「でも全然お話できたなかったのが心残りねー……」ナリスが仰々しく残念がってみせた。
「……あっちの騎士隊にもかなり被害が出てたっすからね」
 ハサマドとの決戦を前にして、隊の誰もが一秒でも長く仲間と共に過ごすことを望んでいたのだ。だから、ネユ家を使わせてくれというたび重なるコロンの申し出を、ネユも二つ返事で了承してくれた。
「……気になってるのは、ジュリアさんたちのことですの?」ネユが気遣うようにコロンに問うた。
 第二騎士隊は壊滅だった。ジュリアとライラ以外はひとり残らず、死体も、パワードスーツの欠片さえ回収できなかった。十二歳から十四歳の四人の女の子たちがこの世にいた証明は、遺伝子レベルで消えてなくなった。もう、画像データや契約書類上の文字、ひとの記憶の中にしかいなかった。おしゃべりすることも、一緒にカレーを作って食べるのもままならない。撤収作業時、戦場の片隅で茫然自失していたジュリアになんと声をかけていいか、コロンにはわからなかった。
 目に焼き付いていたジュリアの後ろ姿を打ち消すように、咀嚼したカレーを嚥下してコロンは頭を振った。「んーん。違うよ。……あたしが思いつめるのは、お門違い、だし」
 もし、ジュリアの部隊ではなく、自分の部隊だったなら。失ったのが、目の前でかしましく食事を楽しんでいるキキやマリー、ナリス、そして大事な大事な、ネユだったなら。当然、考えたことはある。心臓が有刺鉄線でぎりぎりと締めあげられるような気がして、いてもたってもいられなくなる。だけどそれはある種の邪推でしかない。スフィアを戦争から死守して命を落とすのは、騎士として名誉なことだから。ジュリアを憐れむのは、下劣な感傷、下等な自慰、生者と死者と血を冒涜する行為だ。
 そう――、自分は魔女だ。戦争を呼び寄せた災禍の種子だ。だけど、それだけ。魔女の魔法は争いを引き起こせても、終わらせるちからはない。戦争とは、ひとりの十五歳の女の子にとって、どうしようもなく。抗いようもなく。実体の透けた生き物でしかない。殺すことも焼くこともかなわない。
 憂き目に遭っているのは何もジュリアだけではない。第三から第五生徒騎士隊、辺境の騎士隊もほとんど全滅だった。ミミッドの騎士隊は大規模な再編が行われるだろう。マットーの真似をして、そこにオロンドが介入してくるなんて事態もありえた。一時間でも、三十分でも、こうして仲間たちと一緒に食事できるのは、何よりの幸運であり奇跡でありだった。
 ネユが明るい緑の瞳でまっすぐに見つめてきた。コロンはわかってるよという風に頷く。
 言葉を交わさずともネユが何を伝えたいのか、コロンは曲解せずにきちんと了解していた。
 そして、生き残った喜びを分かち合うのもつかの間、コロンの携帯通信デバイスが電子メッセージの受信を断続的な着信音で伝えた。
 ネユがひそかに眉をひそめる。「もう、お食事中くらいマナーモードに――」
「いやァ、ごめんごめん」コロンは苦笑しながらメッセージを開く。
 議会からの、連絡だった。

『第一生徒騎士隊および第二生徒騎士隊再編成の通達

 先の廻戸の侵攻における我が騎士隊の損害に即して、表題の通り、第一生徒騎士隊および第二騎士隊を統合編成することが議会で決定しました。
 新たな隊長、副隊長は以下の通りに任命します。

 隊長:根湯くるわ殿  [領主、上位騎士]
 副隊長:樹里あんず殿 [騎士]

 なお、同時に炎の心臓曲線の機密保持のため、御三堵は炎の心臓曲線の隠蔽に適さないと議会は判断し、法論堂の要請に応える形で炎の心臓曲線と衛星の使用権を返還する運びとなりました。
 つきましては三日後の正午、小論田りりこ殿、植巣たては殿の両名は法論堂の伯爵艦に搭乗し、法論堂の監督下に異動なさいますようお願いします。

           スフィア連合議会議長 植巣まな』

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