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不確定性天在論

 色々と詰め込み過ぎた、反省はしている。Rd正史。機械仕掛けとえよわがのちょうど中間にあたるのかな。電脳コイルとか攻殻とかハーモニーとかいろいろあるけどおもにグレッグ・イーガンリスペクツで。純愛凌辱って難しいなあ。次回はスチームパンクな感じで真面目に百合を書いてみようと思います。



ノーカット版 ttp://www.pixiv.net/novel/show.php?id=1415077










 不確定性天在論 -uncartain machina's fox-



 青果生産ファームを抜ける。丙都の自然発電プラントを後方に、前線を援護していた事象警察車輛の脇に蜂を停車させる。爆音が近い。断続的な閃光が黄昏を押しのけていた。比喩でもなく本当に目と鼻の先まで攻め込まれているらしかった。
 事象警察の応援要請を受けて、取るものもとりあえず黒灰蜂、ニキーダにまたがったあたしは、現場に来てようやくシートの下に納めていた手袋型インターフェイスとヘッドマウントディスプレイを取りだした。
「射鶴木(いつるぎ)先生」車輛から事象警察のひとが降りて来て、あたしに駆け寄ってくる。
「ご苦労様です、遅くなってすみません」
「いえ、こちらこそ急にお呼びたてしてしまい――」とんでもなく恐縮した風に、若い警察官がぺこぺこするのを見て、あたしはげんなりする。あたしより二尺も大きくて倍近く生きてるおとなのひとが頭を下げてくるのは、毎度のことながら慣れない。
「状況はどうなってますか?」
「どいつも小から中地位の陽性ですが空在で、我々の目ではどうにも定義できず、手こずっています。HEDLにも同系統がなく――」
「新種なんですね?」
 警察官は頷く。「火を吹きます。しかしどの命題パッケージにも当てはまらず、代用できません。空間勾配も破ってきます」
 あたしは眉をひそめる。伝承局は過去に存在したすべての神を網羅しているわけではないから、歴史事象電子図書館に該当種がないのは仕方がない。おそらく電子化する前に、人類の目から永遠に失われた書物の化生なのだろう。
 でも事象警察が所持しているパッケージは、常に定理局が配信している最新のバージョンに更新され続けているはずだ。騎士だって独自の命題を持っているわけではない。ならば今宵の襲撃者を意味づける材料は何もない。
 未だ知らぬ神、空に在る神はだいぶ減ってきたとは言われているものの、年に二、三匹はやってくる。それでも、既存の定理が通用しない相手は珍しい。火を従える神はいくらでもいるから、なおのことだ。独自の大系を持つ、産土か土着の者だろうか。
「わかりました。パターンのラベリングと観測だけしてひとまず調伏します。プラントもすぐそこまで迫っていますし」
「東雲(しののめ)院と金刀比羅(ことひら)院の先生方もじきに到着するはずです。では」
 お願いします、と最後に深くお辞儀して部下に指示を出しに行った警察官を見送って、HMDを装着する。色刃(いろは)ちゃんが来てないのはまだしも、宝子(ほうこ)さんが遅れているのは初めてだ。
 実空間の拡張モデル読み込みが終わる前に、アイドリングさせていたニキーダの、心黄と連動したスロットルを絞る。局所的な風の流れが生まれる。細長い流線形の機体を挟んだふくらはぎから、静かでいて力強いトルクが伝わってくる。浮力を得た機体が空に舞い上がり、炎が飛び交う防衛ラインを超える。強いGを感じつつ、コンソールを操作して磁気を発生させる。次いで粒子散布デバイスを活性化。あたしの両側頭部と尾骨がじんわりと熱を帯びた。磁場の反発で観測粒子がばらまかれる間に、フレアを出す。
 途端に、前線を襲っていた炎が、空を駆けるあたしに標的を移してきた。新種と言えど、蚕は蚕。粒子を嫌う基本性質は変わらない。ニキーダに内蔵された有機結晶コンピュータが回避行動のための最適軌道解を導きだし、炎を難なくかわす。夜気を火炎が焦がす。
 旋回しながら蚕をひきつけていると、インプラントネットワークデバイスに甘い声が入る。『せんせ、お待たせ――って、うわ、なにこれ、どの代入結果もN/A吐きだしてるんですけど』天丙院にある女王蜂の観測端末席に着いた、宿莉(すくり)ちゃんからの通信。『一瞬、クイーンがバグったのかと焦っちゃいましたよ。これは警察じゃ、どうしようもないですねー』
「うん。とりあえずプラントの前まで接近されちゃってるから、ラベルだけ付けて調伏しようと思う。データ全部録っといてね」
『御意にー』くだけた返答。
 ニキーダを傾け、下降。大地が近づく。蚕の放つ幾条もの熱線が、翻った耐熱絶縁コートの裾を舐める。観測粒子からバタフライ・フィードバックさせた結果が、HMDに反映される。粒子の運動情報からレンダリングされ識別された蚕の存在確率がモデルとして出現。頭と胴がひとつ、手足がふたつずつのヒト型。おとなと同じ背丈がたくさん。型も大きさも炎の出力も、よくやってくる蚕の範疇だったけれども、HMDが描写しているモデルは陽炎みたいで掴みどころがない。像が結べないのは、単に熱で粒子を巻き上げられているだけではないだろう。
 腰に差した黒塗りの函杖を抜き放った。細く薄い刀身が、月明かりを照り返す。柄の心黄に封じられた風天の定義を発揮。周囲に暴風が展開され、蚕の高熱を弾く。
 隊列を成す蚕の群れに突撃。地上すれすれを飛び、先頭の蚕とすれ違いざま、頭部に函杖を打ちおろして離脱。納刀。切りつけた蚕は吹き飛んだだけで無傷。手ごたえなし。硬い。硬すぎるほどに。
『いくら函数指定してないからって、中天位の定義でも割り込めないって……せんせ、この子たち小天位以上の権能持ってるんじゃない?』
 あたしは否定する。「小天位が一匹混じってるだけでも大変なのに、これ全部本当に小天位なら、もうとっくにこの辺は焼け野原だって」小天位一匹で熟練の騎士ひとり分に値する。つまり、都市一個ぐらいなら容易に陥落する。「頑健な定理を持ってるのか、位相が違うのか、定義域が特殊なのか……ともかく、これは調伏処理は難しいかも。最初から核を潰すつもりでいかないと――」
『ちょ、せんせ』他のオペレータの耳に入らないようにか、宿莉ちゃんが声量を落として言う。『本気で言ってる? これだけの量の核を? 立場上、始末書じゃ済まされないと思うんですけど……』
「でもこのままじゃ、くたびれ儲けどころじゃないよ。プラントを壊されるわけにはいかないもの。ただでさえ最近、資源調整が厳しいんだから」
 射線にプラントが入らないように蚕をぞろぞろと引きつれて、丙都の定義域ぎりぎりを飛ぶ。蚕もばかではない。埒が明かないと判断すれば、あたしの優先度を下げて再度丙都に大挙するだろう。そうなるとフレアも効かない。
『もうすぐ色刃ちゃん先生とまっきんきんが着くっぽいですから、それまでどうにか――』
「こら、金刀比羅先生でしょ」軽くいさめる。無駄とわかっていても、適当な函数を乗せた論理矢を射かけてみたり、函杖の烈風で痩せた大地を穿って足場を崩すが、効果は見られない。「どうにかって言われてもね――っと!」
 突如、目の前が炎でいっぱいになる。急ロール、視界が回転する。ニキーダの黒い機体を灼熱が炙った。HMDに、軽微の損傷を示す通知が出現する。操縦を誤ったのだろうかと疑ったけれども、さらに回避先を狙い撃ってきた火炎で考えを改めた。
 陽動飛行を諦め、回避に専念。急ピッチで機体を持ちあげる。ニキーダの機動を受けて有機結晶コンピュータと相互干渉していた体内の粒子がフィードフォワードされ血流を管理し、ブラックアウトを防ぐ。軌道には乱数を入れていたはずなのに、蚕は正確に読んできていた。学習能力、それも相当高度な代物だった。
 気づけば丙都の定義域の境界に誘導され、押しつけるように追い詰められていた。定義域の外に出れば、女王蜂のネットワークと拡張モデルから一時的に外れることになる。そうなれば通信は切断され復旧するまで同期できなくなるし、丙都の対色迎撃砲に敵性の風天と誤認され照準されてしまう。蚕は、あたしの機動可能範囲すらも察しはじめたのだ。
 熱線を十分に引きつけ、一気に切り返した瞬間、地上の蚕が一斉掃射。炎の壁となって行く手を阻む。予測された行動。ニキーダのタービンを強く吹かして、函杖を抜刀。螺旋状の暴風を壁に叩きつけて掻き消す。突破。
 宿莉ちゃんが叫ぶ。『せんせ、午の方角から熱源!』
 やっぱり来た。ニキーダの尾翼が高熱にさらされ、先端が炭化し、屈めた頭の上を焔が通過する。函杖の反動で水平方向の加速度が零になったところを仕留めるつもりだったのだ。予め機体を下降に滑らせて高度を下げていたのでなんとか避けられた。
 そこへ、『真下!』突き上げるような強烈な衝撃。呼吸が止まる。機体が不自然に浮いた。ニキーダの胴に思い切りぶつけたHMDが、緊急事態を訴える。タービンを限界までまわし、ニキーダを制御しきれないままにその場を離脱。地表が近づく。ほとんど墜落していた。強引にスラスターを下へ向ける。ラテライトの石くれがニキーダの腹をこする。姿勢制御翼が地面をひっかく。漆黒の機体の吐きだす圧縮大気が大地を蹴り、再び飛翔。
『せんせ、大丈夫!?』
「どうにか……宿莉ちゃん、今の、なに?」執拗に追いかけてくる炎を避けながら、観測粒子を撒きなおす。HMDが報告する損傷状況によれば、幸い生体装鋼の空洞部分が歪んだだけで駆動系にも結晶コンピュータにも支障はなかった。
『なんていうか、蚕の一匹が、その――瞬間移動? 的なことをしてせんせを蹴っ飛ばしたような……?』自信なさげに宿莉ちゃんが告げる。
「寝ぼけてるんじゃないよね?」
『でも粒子盲点も局所値変動もなかったはずですし、メタ観測システムも正常、拡張モデル上では一匹が突然消えて、せんせの直下に現れたのは間違いないですから、空間的に転移したとしか……』
 宿莉ちゃんの話が本当ならジャミングを仕掛けられたわけでもないだろう。ニキーダが地位程度に汚染されるわけもないので感覚マスキングもありえない。やはり空間転移能力を有して――。
 その時、にわかに、HMD上で確かに蚕のモデルが忽然と姿を消した。それも一匹ではなく、十匹単位で。あたしを包囲するつもりだろうか。翅をもつ蚕ではないはず。機首を上げて加速、高度を稼ぐ。粒子の観測データとHMDの拡張モデルに全神経を注ぎ、函杖を構える。だけど蚕の転移先は、あたしなんかじゃなかった。
『せんせ、防衛ラインが!』
 はっとして後方を振りかえる。前線を立て直していた事象警察の武装車輛が、蚕に囲まれていた。蚕から熱源反応。間に合わない。退避すらも。
 そして車輛が紅蓮に包まれる。天空から降り注いだ業火によって。
 防衛ラインの上空に、紅い煌めき。巨大な深紅の機体。紅火蜂、ユーリー。
『弧狗狸(こくり)ちゃーん、遅れてごめーん』ユーリーにまたがった、機体の大きさとは対照的に小柄な少女が手を振ってくる。緋色のショートカットから突きだした、狼の耳を模した粒子散布デバイスがひょこひょことつられて動く。
「色刃ちゃん! 助かったー」警察車輛に襲いかかった蚕が残らず焼き尽くされていたのを見て、あたしはぎょっとする。「で、でもちょっとやりすぎかも……核が――」
『あー、それはねー――』
『管内回線ですよ、御両院』たしなめるようなハスキーボイス。『金刀比羅院から射鶴木先生へ。状況は天丙院および天丁院にて確認しています。両女王蜂は当空在蚕、第二一八天の危険度を第一級と判断、各天の執行ならびに核の破壊を許可しました。調伏を放棄し全力で討滅にあたってください』
 彼方よりこがねの流星が土煙をまきあげて、蚕の群れに到来。まばゆい剣閃が、剃刀よりも鋭利な車輪が、次々と蚕を両断していく。その冴えわたった剣技を披露しているのは、黄金蜂、金果を駆る美女。虎の耳を備え、やまぶき色の長髪を風にたなびかせながら蚕を切り刻むその姿は、神話の獣神さながらだ。
「……承知」宝子さんに見惚れるのもそこそこに、函杖を鞘に納める。コンソールを操作。ニキーダからケーブルが伸び、あたしの尾骨、狐の尻尾をかたどった粒子散布デバイスの付け根に接続。認証プロトコル。生体情報照合。心黄、射鶴木弧狗狸の個人ネットワークアカウント、女王蜂がネットワーク上で並列結合。封じられていた定義式を全権限レベルで承認。分散されていた神格が本来の権能を取り戻し、あたしの意識階層を占有していく。
 風天が再構築されるつつあるのを尻目に、砕けた月を仰いだ。明日は満月。今日を乗り越えればお休みだ。
 生温かい風が吹いた。




 彼ら側の月がこちら側のそれに落ちてからというもの、ひとが心休まる夜は月に一度きりとなってしまった。満月でなければ、月に潜む彼らを観測できないからだ。月に彼らが眠っていると知っていれば、ひとは月を戦争に利用することはおろか、渡月なんて愚かな真似はしなかったろう。
 彼らの正体が何であるか、を説明できるものはいない。それは、ひとが何者であるか、という問いと同義だからだ。彼らは、あたしたちがいるこの三次元空間、あるいは宇宙とは別の位相にある月――に相当する座標的な概念――で生きてきた生命体、あるいは意思そのものに準ずる、何かだ。開闢以来、文字通り次元とアーキテクチャが異なるために、ひととは交わることも互いに認識できるはずのなかった彼らは、月戦争で用いられた重力演算兵器によってこちら側へと引きずり出されてしまったのだ。
 彼らの本体、彼らを意味し、定義する構成要素は、こちら側で言うところの一次元の情報だ。それゆえ初めはこちら側の誰もがはっきりと彼らを彼らと知覚できなかったし、何の害もなさなかった。問題は、彼らがこちらの物質に依存しない一次元構成体で、それが彼らの進化というより自己選択変化の結末であり、彼らは他次元からの侵攻を想定し、対処法を決めていたことだ。つまるところ彼らは、自らクラスを任意に操作できる技術を体得しており、外敵を排除する方針を持っていたのだ。
 彼らはまず段階的に、ひとの排除をはじめた。最初は彼らが最終的に到達した一次元、こちら側の文字情報からだった。彼らがかねてから計画していた通り、それはこちら側にとって致命的であり、ひとが事態を察知する前に放たれた決定打でもあった。
 彼らは少しばかりの文字と、数字と記号をいじった。たったそれだけで金融が死に、通信が途絶え、電子機器の機能が停止した。こちら側では媒体を有さない彼らは、観測の物理的制約がない。ひとがあちこちに記した文字情報を集約することでひとよりも深く、ひとを理解していた。ひとの文明はまたたく間に混沌に陥り、崩壊した。彼らと同じ結論に至り、高度な情報化への階段をまだ登りつつあったひとは突然足場を崩されたのだ。
 次に彼らはミームを食った。ひとの信仰を知り、書物の文面のまま神秘と奇跡を解釈し、ひとが畏怖する神の概念を体現させた。クラスの自由度を持つ彼らにとって、聖書を媒体にこの世に神を受肉させることは難しくなかった。彼らはみっつ目の次元、物質界への直接侵略を開始した。
 神話の神を相手に、死者が六十億人で済んだのは運がよかったんだろう。観測可能で、認識できる手段だったためにいくらかの対策を施せたからかもしれないけれど、それでも力の差は歴然だった。神は天地を創造し、世界に終末をもたらす力を忠実に再現されていた上に、神の本質通り、彼らと同様に実体がなかったからだ。
 最初に斃された神の記録はない。どの宗教のどの神を、誰がどうやって斃したのかも。だけど今こうして、一度滅亡しかかったひとが虫の息で生きていられるのは、確かに神を斃し、彼らの技術である核を奪ったからだ。
 快進撃、とは到底言えないにしても、神がパッケージングされた彼らの核を、心黄という多次元観測干渉装置として応用することで、ひとはようやく彼らに対抗できた。心黄がもたらす神の権能は一見して物理法則を無視しているけれど、それはこちら側で現象と法則が矛盾しているだけであって、彼ら側の世界では何らおかしい記述内容ではない。逆に神や崇拝といった直感的な概念は彼ら側ではありえない。こちら側の概念と彼ら側の記述の融合たる心黄は、いわば世界の境界線上に存在し、どちら側の世界でもω矛盾にあるのだ。
 そして何より、神を観測できたのがひとにとって大きな一歩だった。心黄で神を定義して位相を下ろし、色に在させれば、通常の兵器も通用するからだ。逆にいえば心黄の拡張定義なしでは神は遍在し、触れることも認識することもできない。それが、ひとが定めし神だった。
 世界中で梵書をはじめたのはこの頃だ。彼らはこちら側に、彼ら自身を表現する情報を持たない。神として顕現するには、紙面上などの確定された文字情報を介するしかなかった。梵書は神を増殖させない点では正しい対処だったかもしれない反面、知識を失ったのは大きな損失でもあった。神はただ観測するのみでは干渉できず、その定義を暴く必要があったからだ。しかも、ひとはすべての本を焼けたわけではない。ひとが撤退した月面にも書物は残っているし、地球上にすら人目のつかないどこかに存在しているだろう。今となってはひとだけが知らない、忘れ去られた神もいる。今日のように、人類の記憶と知識から完全に失われた概念が相手となると、そのたび手を焼かされる。
 神は観測できないあらゆる場所から現れた。どこにでも、どこからでも湧く性質から、最初は蟲と名付けられていた。ひとを滅ぼす存在を神と呼ばわり退けるには、抵抗があったのだ。今では天から降ってくる蟲という意味で、偶像を受肉した彼らのことを蚕、サンと呼称している。
 蚕の襲来で、文明の形態は大きく変わってしまった。実空間の文字が描かれた平面はすべて塗りつぶされた。そこへ、量子的に不安定な状態に留めた電子情報を新たな文字とし、網膜インプラントを介することにより、拡張現実として視覚化させた。さらに全人類の網膜インプラントから汲みあげた実空間視覚情報を、ネットワーク上にレンダリングして電子の宇宙を創りだすことで、二重に蚕を監視する体勢だ。それは双方向的なユビキタスネットワークで、ある種、彼らの文明体系の模倣でもあった。情報文明への、アプローチを変えた強制的なパラダイム・シフトだ。
 紙や染料を迂闊に使えないため、こういった拡張モデルのインフラが急速に発展せざるをえなかった。ただしそれは、大量の電力を引き換えに、だ。死角を見逃せないのももちろんだったけれど、第一に、文字を手放すわけにはいかなかった。文字概念はこの時もう、ひとのミームの担い手としても思考中枢としても完成されてしまっていた。たとえ彼らの血肉となったとしても。
 人口が減った割に激増してしまった電力消費をまかなうために、莫大な量の資源が発電プラントに投入された。残されたひとびとは、資源の厳密な調整と管理、分配を迫られた。生存するために不可欠なシステム以外のあらゆる無駄が取り除かれた。嗜好品は当然のこと、市場が取り壊され、企業と製品がこの世から消えた。金銭が意義を失い、供給されるエネルギーの消費権がひとびとの取引に使われた。全体主義を突きつめ、互いに監視しあって初めて安全なのだと言えた。ディストピアこそが、ひとの種を守りうる繭だった。




 丙都の中心にそびえる、円錐をひっくり返したような形状の塔が、天丙院だ。大天位の核と超密度有機結晶コンピュータを据えた女王蜂が丙都を見下ろし、半径五里の都を生活圏として定義づけいた。同時に丙都のネットワークや資源、エネルギーを統括し、都市機能を治める中枢機関でもあった。
 天丙院の堅牢そうな黒塗りの門扉の前、定期洗浄巡回車の邪魔にならないようニキーダを停止させると、「せんぱーい!」ひとりの少女が駆け寄ってきた。あかがね色の髪のその子は、あたしの目の前まで来ても立ち止まらずにそのまま抱きついてくる。「もー、待ちくたびれましたよー」花の香りが鼻腔を満たし、甘い声があたしの頭部に生えた狐耳型デバイスをくすぐる。
「し、絞まってる絞まってる」強引に少女を押しのけてニキーダから降り、「儺玖莉(なくり)ちゃん、先に行っててくれてもよかったのに。家からの方が近いでしょ?」
「宿莉ちゃんばっかりとドライブはさせられないですもん」ふくれ面になる儺玖莉ちゃん。「せんぱいは、わたしたちふたりのものですから」と、また首に腕を絡めてくる。儺玖莉ちゃんはひとつ年下だったけれど、あたしより頭一つ高い上にヒールをはいてるものだから――あたしの背丈が極端に低いというのも要因のひとつだけれど――、柔らかく発育した胸が頬に押しつけられる形になった。
「官吏が耳にしたら、たちまち卒倒しちゃいそうなお言葉ね……」少なくとも天丙院の門前で発言できる内容ではなかった。
 騎士とは最新の有機結晶コンピュータを積んだ機動ユニット、蜂を操って最前線で蚕を定義し、討伐するひとの守護者だ。騎士の肉体は蚕を狩る目的だけに生まれる前から遺伝子レベルで動物とかけあわされてチューニングされ、特定哺乳類のフェロモン散布機構と前時代のWHOSE駆体を転用した粒子兵器システム内臓型の特別製だ。蜂が演算装置ならば、騎士はいわば観測兵器だった。
 蚕との戦いの上では記述された定理を具現化する天位クラスの心黄が不可欠だったため、融通が利くように、騎士には人類の資産たる高位心黄を仕込んだ函杖の個人所有権が認められている。蚕を斃す手段として、高い機動力と観測能力、高次元干渉能力を合体させた騎士の存在は有効だった。騎士はファースト・サーベイ・フェーズでありながら、ファイナル・ターミネイション・フェーズを両立させているのだ。
 ただそれは、騎士一個人に限りある叡智と武力、ひいては権力が一極集中される構図を作ってしまう。それならいっそのこと、というわけで、騎士に都の一区画を与え、心黄を動力とした発電によって管理する義務を設けた。騎士は守護者であると同時に、領主でもあったのだ。だからどれだけ幼くとも騎士には敬意を払って尊重し、先生と呼ぶ習わしさえある。
 宿莉ちゃんや儺玖莉ちゃんが気安いのは、ふたりのご両親があたしの兄に仕えているように、ひとつ屋根の下でずっと寝食を共にし、あたしの身の回りの世話をしてくれているからだ。
「せんせ、お待たせ、生データ多くてノイズ取り手間取っちゃった――って、儺玖莉ちゃんずるい! なんでいるの!?」門扉の脇の関係者用通用口から、甘い声がやってくる。「ほらほら離れて離れて! ルール違反だよ儺玖莉ちゃん!」とあたしと儺玖莉ちゃんを引きはがしたのは、あかがね色の髪の、儺玖莉ちゃんと瓜二つな顔をした女の子だ。
「それを言うなら宿莉ちゃんも、オペレーションだかなんだかでせんぱいをひとり占めしてるじゃん!」
「何言ってんの、それは仕事だから仕方ないじゃん。むしろ声しか聞けなくていっつも切ないきもちになってるんだよ?」
「何それ嫌味? わたしは声も聞けないんだってば」
 宿莉ちゃんと儺玖莉ちゃんは一卵性の双子だった。それはもう見事な双子っぷりで、容姿に声音に性格、癖や仕草までそっくり、唯一異なるのは右利きか左利きかとそれに伴う微妙な重心のズレだけなため、本人同士か長年の付き合いであるあたしぐらいにしか見分けがつかない。
「ふたりとも、もうその辺で――」
「せんせは黙ってて」「これはわたしたちふたりの問題なんだから、せんぱいは口挟まないで」
「議論の中心はどう考えてもあたしだった気がするんだけど……」気を取りなおして話題を変えてみる。「ところで宿莉ちゃん、今日の観測データ送っといてくれた?」
「まっかせてください。それはもうばっちり――」
「ばっちりどこへ観測データを送ったのですか?」
「ひゃいっ!?」急に第三者に声をかけられて、あたしは飛び上がった。振り返れば、ふわふわしたやまぶき色の猫っ毛に金の瞳、虎耳型デバイスを頭に載せた長身のグラマラスな美女、見紛うことなき宝子さんが、通用口から出てきたところだった。「お、お疲れさまです、金刀比羅先生。どうしてここに……」
「お疲れさまです、射鶴木先生。本件について引き続き天丁院と伝承局に問い合わせていたので。あちらでも今回の蚕、第二一八天は未発見だそうですから。それよりも、飛騨(ひだ)観測官、どこへ観測データを送ったのですか?」
「お疲れさまです、金刀比羅先生。えーっと、それはァ……」苦い顔をして視線を泳がせる宿莉ちゃん。儺玖莉ちゃんも露骨に不機嫌になった。飛騨姉妹は宝子さんが苦手で、その外見や専用の蜂、名前を指して、裏でまっきんきん――同様に色刃ちゃんがまっかっかで、あたしがまっくろけだそうだ――と呼ぶほどだった。
「えと、第二一八天はちょっと気になるところがあったので、家に帰っても見直そうと思いまして、あたしが飛騨観測官に頼んだんです」こわごわとフォロー。
「ならわざわざクイーンから送信しなくともよいのでは?」金色の肉食獣じみた双眸があたしを射抜く。「先生ならご自宅の端末からでもクイーンにアクセスしてデータの閲覧はできるでしょうに」
「そ、それは……」落ち着き払った宝子さんのハスキーボイスに、しどろもどろになりながらも、「閲覧だけじゃなくて、コピーがしたくってですね、こちらで現場用に色々加工したいというか、解析を組みあわせて初めてわかるものがあるというか……まァそんな感じ、です」
 ふゥん、と明らかに納得してない風に呟いて、「どこに持ちだされようと勝手ですけど、立場をわきまえてくださいますようお願いしますよ、射鶴木先生」長い髪をひるがえして、金刀比羅院のある方向へ歩いていった。
 宝子さんが完全に見えなくなってから、「絶対まっきんきんにはバレてますよ、せんぱい」儺玖莉ちゃんが呟く。
「……ログは消したよね?」宿莉ちゃんに小声で問う。
「明日せんせが消えてなかったら、はっきりしますね」宿莉ちゃんが肩をすくめて言った。




「こんばんは、ママ」
「あらァ、いらっしゃい、遅かったわね」
 ひとりで薬品生産プラントと結晶生産プラントの間の狭い路地を突きあたりまで進み、袋小路でインプラントネットワークデバイスを一時切断してから、古い生体認証付きの隠し扉をくぐる。それがこの非合法バーに入るためのプロトコルだ。
 シックで落ち着いた雰囲気の店内にひとけはなかった。今日は予め連絡しておいたので、たぶんママが人払いしておいてくれたんだろう。
 カウンターの背の高い席によじ登って黒毛の狐尾型デバイスをお尻に敷かないように腰かけると、けばけばしい色彩のシャツに身を包んだ、彫りの深い顔つきの店主がくわえ煙草でおしぼりとコースターをあたしの前に置いた。
「宝子さんにちょっと目をつけられちゃってて」
「あの子は昔から真面目っ子だったからねェ。ま、あれで甘いというか、優しいとこもあるんだけど……って、ちょっと、やだ、勘弁してよォ、店のことゲロっちゃいないでしょうねェ?」
「それは大丈夫だと思う。ここがなくなっちゃったら、プラントで働いてるおじさまたちがスト起こしかねないし」
 資源調整の一環で嗜好品の一切が――表向きは――重く禁じられている今、合成酒や煙草を出してくれるこのバーは市民にとって貴重な憩いの場だった。各プラントやファームに務めるおじさまたちが職権を濫用して密造し、持ちよった数々の禁制品がここに集い、一種の生活協同組合と化しているのだ。ちなみにあたしが提供しているのは個人アカウントの消費権口座に載らない電力、いわゆる裏エネだ。
「違うわよォ、アタシはツルちゃんのこと心配してるのよ。アタシがクイーンごとき小娘に後れを取るわけないんだから、店はバレやしないわ。ちゃんと送信ログは消したんでしょうねェ?」
「その辺は宿莉ちゃん次第かな――」
「マスターこんばんはー」噂をすれば宿莉ちゃんがやってきて、習慣的にあたしの右隣に座る。
「ママって呼びなさいって言ってるでしょ、双子ちゃん。減点二」凄みを利かせながらも、コースターを並べるママ。
「えー! この前は一点だったじゃん!」宿莉ちゃんの抗議。
「マスターこんばんはー」
 次いで入店した儺玖莉ちゃんをママが顎でしゃくって、「これで減点二よ」
 諦めたように宿莉ちゃんがため息をついた。
 三人揃ったところで口ぐちに飲み物をオーダーする。飛騨姉妹はスクリュードライバー、あたしはシナモンミルク。せんぱいも飲めばいいのに、と左側の儺玖莉ちゃんは唇を尖らせたけれど、帰りにふたりを乗せてニキーダを運転するのは――二年後三年後はどうなるかわからないけれど、詰めればなんとか三人乗れていた――あたしだ。そもそも十五の成人を迎えているのはあたしだけで、儺玖莉ちゃんと宿莉ちゃんは天位を調伏した際に催される神事でも、お神酒を頂けないはずなのだけれども。
「そうそう、頼まれてたもの、できてるわよ」ミルクに添えてママがコースターに乗せたものは、親指ほどの大きさの黒い結晶片。OMCD――光情報を閉じ込めた光学記憶結晶素子だ。
 あたしは目を丸くする。「ありがとう、さすがママ、仕事早いね。でも明日は満月だから、急がなくてもよかったのに……」
「ツルちゃんのお願いだもの、何より優先するに決まってるじゃない」ばちりとウィンクしてみせるママ。「定式と仮定をパッケージ化して、いくつかの補題とアルゴリズムを書いてみたわ。でも何度シミュレートしてもエラーコード吐きだし続けちゃうのよねェ、バグはないはずなのに……」
 ママは元定理局の主任技師だった。しかも世界最大の都市、丁都の天丁院長たる兄の片腕だった男――もとい女だから、定理や函数について右に出るものはいなかった。
 こんなのアタシの人生じゃない、と辺境の丙都に移り住んでしがない違法バーのママをやってはいるものの、こうしてたびたびあたしの助けになってくれている。兄があたしに丁都で後を継がせずに、飛騨姉妹とともに丙都に派遣したのは、たぶんママがいたからだ。良い意味でも、悪い意味でも。
 ママが拡張現実上でコンソールを操作して宙に映像を出す。さっきの観測データだ。「今回の蚕はアタシもどうも腑に落ちないのよねェ……ほら見て、ここ」色刃ちゃんの応援が到着する直前、事象警察車輛が蚕に包囲されたシーンだった。ママは蚕の周辺を指差す。「足跡があるのよ、蚕の。空間転移能力があるなら、おかしいと思わない?」
「確かに――」宿莉ちゃんが難しい顔をして考え込む。
「粒子が目くらましされたとかじゃないの?」儺玖莉ちゃんがたずねるけれど、ママはかぶりを振って別のグラフを開封する。
「この時間、粒子の存在確率は正規分布に従ったままなのよ。それがますますおかしいのよねェ……もし高速で移動したなら、粒子に運動情報が入ってるはずだし。メタ観測システムも異常はないから、ハッキングの可能性も消えるわ」
「じゃァ、異次元を通って来たとか」グラスを呷りながら儺玖莉ちゃんがおどけてみせるも、
「そうとしか考えられないのよねェ」ママは重々しく頷いて、新しい煙草に火をつけた。「別の時間、別の位相――というより彼らの位相、ね。こちらのミームで現界しているならそんな位相概念の定理は保持してないはずだけど、ひょっとすると部分的にしか受肉してないのかもしれないわ」
「そんなことってありえるの?」疑わしげな宿莉ちゃん。
「そういう仮定よ。ま、何かわかったら、また新しい定理を構築してみるわ――はい、難しい話はこれでおしまいにしましょ」と締めくくってモデルを消し、「ところでツルちゃん、アナタ、いい加減イイひと見つけたの?」
 突然振られてあたしはむせる。もうちょっとでミルクを噴き出すところだった。「な――ッ、ママ、いきなり何言いだすのッ」
「だってねェ、アナタももうおとなでしょう?」
「でもまだ学生だし……」
「来年には卒業じゃない。ンなこと言ってると気づいたときにはもうオバサンよ? 早いとこ目星つけときなさいよね。アタシもアナタのお兄さんにあわせる顔がないんだから」
「無理無理。せんせ、全ッ然モテないんだから。お料理もお裁縫もからっきしで生活力皆無だし、お嫁さんになんかいけないよ」
「むしろ女子にはすっごい人気あるんだけどね、せんぱい。わたしのクラスにもこっくりさん後援会って秘密のファンクラブがあるし」
 男子が寄りつかない原因のひとつだろう姉妹がよく言うよ、とあたしは心中でぼやく。
「不思議よねェ。お肌は真っ白でキレイだし顔もカワイイと思うんだけど。性格もおしとやかで普通の女の子っぽいのにねェ」ママが首をかしげる。
「せんぱいは見てくれとか中身じゃなくって、なんかこう、雰囲気がヤバい」
「そうそう! いかついっていうか殺気立ってるっていうか、なんか踏んでる場数が違う感じ」
「あー、わかる。ってか色刃ちゃん先生とまっきんきんもそうだよね。耳と尻尾がかわいいからいくらかマシだけど、なかったら怖くて話しかけらんないよね、騎士サマって。そこがまた魅力的でもあるんだけど」
「騎士の宿命ってやつかしらねェ……そういえば、お兄さんも学生時代は毎日女の子から告白されてたわよ。本能的に遺伝子を残さなきゃ、って思うのかしらね」
「なんかあたし、根本的に否定されてる気がするんだけど」げんなりしつつミルクを舐める。もう少しまともなアドバイスをしてほしかった。
 でも、とも思う。あたしの血肉は脳を含めてその細胞の一片までもが蚕と戦うためだけに調整された、なまみのきかいのからだ、なのだから、三人が言うとおりなのかもしれない。
「だいたいせんせ、月のものもまだだし、チビだしぺったんこだし、色刃ちゃん先生にもらったおさがりのお洋服とか、胸で止まらなくて滑り落ちるし」宿莉ちゃんはさらに追い打ちをかけてきた。
「そのくせ、せんぱいっておっぱい星人だしね」
「ちょっ、何言ってんのッ!?」あることないこと言われはじめたのでさすがに焦る。
「えー、だってせんぱい、いっつもまっきんきんとか色刃ちゃん先生のおっぱい見てるじゃん」
「ガン見だよね、せんせのあれは」
「そういうわけじゃ……」
 まったく身に覚えがないわけではないから、反論できなかった。でもそれは単に不条理を感じているからであって、胸が好きなわけではない。時たま、へこめ、と念じてはいるけれど。
「ツルちゃん……おっぱいはどれだけ観測しても不変なのよ?」ママまで同情した視線を送ってくる始末だった。
「でもおっかしいよねー、おんなじ騎士なのに」儺玖莉ちゃんが遠い目をして憂う。「なんでかなー、せんぱいにはちゃんと毎日身体にいいもの食べさせてるんだけどなー」
「むしろ色刃ちゃん先生の食生活を真似すればいいんじゃない? 毎日ミートパイみたいな」
「あのわがままボディと一緒にしないでよ。一ヶ月でぶくぶく太っちゃう」グラスを干して、あたしは椅子から飛び降りる。「明日も学校あるし、そろそろ帰ろ?」これ以上は火傷で済まなさそうだし、と胸の中でつけ加える。
 と、しょうがないなーと文句を垂れながらも従う姉妹に、「あ、忘れてたわ、依頼の品、届いてるわよ」ママが白い粉末の詰まった小瓶をカウンターの下から取りだした。
「ありがとー! ママ大好き!」儺玖莉ちゃんがかすめとるようにさっと受けとって、ハンドバッグに押しこんだ。
「何に使うのか聞かないけど、やばいコードなんだからくれぐれも扱いには注意するのよ」釘を刺すママ。
「わかってるってば、もう、ママは心配性なんだから」
「え、ちょ、何今の」あたしはなんだか怖くなって儺玖莉ちゃんのチュニックの裾を引っ張るも、
「はいはい、こどもはおうちに帰ってねんねする時間ですよー」と宿莉ちゃんに外に引っ張りだされてうやむやになってしまった。




 お風呂上がりに、道場脇の代謝促進培養炉で眠らせたニキーダにOMCDをインストールしがてら、修復状況を確認した。プリテストを走らせてみると、飛行に影響を及ぼすような損傷はないようで、このままいけば明朝には完治する計算だった。
 事象警察への被害もほとんどなかった。少なくとも死者は出ていない。と言っても、蚕の中でも最小クラスである小から中地位相手にしては辛勝だったのが反省点だ。普通、階級がひとつあがればその蚕がもつクラス、次元の自由度は十倍変わる。小地位と大地位では、百倍から千倍弱の差があるのだ。小地位と小天位なら、千倍から万倍弱。もし次、小天位以上が、あるいは陽性を生む性質がある陰性の蚕が来れば、どうなるかわからない。
 それに、防衛に成功した、と言えば聞こえはいいけれど、第二一八天の定義が間に合わず、核の収穫がなかったのは痛手だった。プラントやファーム、磁動車、上空MU、有機結晶コンピュータの動力源になる核は、資源の抑制や都の防衛能力に直結する。とりわけ騎士は強力な核を好き勝手使っている――心黄に記述された定義はアクセス権が分散されているため、実際は三割ほどしか騎士個人で権能を発揮できないにしても――のだから、襲撃から都市を守るだけじゃなく、神を定義し、核を収穫するのもまた重要な職務のひとつだ。一度色在にさえしてしまえば、中地位までなら事象警察でもなんとかなるからだ。
 座敷に戻ると、お蒲団がみっつ並べて敷かれてあった。射鶴木院に充てられた私有地は、敷地内に道場を抱える程には広い。屋敷も大きい。だからわざわざ同じ部屋で寝る必要はないのだけれど、エネルギー消費を抑えるためにも、ご飯もお風呂も、何をするにしても三人一緒だった。公では、あたしと飛騨姉妹は主人と従者の関係だから、各方面から距離が近すぎるとお叱りの言葉を頂くことはあるけれど、これも都のためだ。
「って、あんたたちねェ……」
 敷かれたお蒲団の上ではおそろいの浴衣を着た双子が座りこんで、わいわいやっていた。一升瓶を囲んで、だ。
「あ、せんぱい、おかえりー」
「ささっ、せんせも一献どうぞ」宿莉ちゃんがおちょこに透明な液体を注ぐ。
「ふたりとも、ホントにざるだね。っていうか、こんなのどこにあったの?」
「せんぱいの成人の儀で、まっきんきんにもらったのが蔵に眠ってたんですよ」
「本日はかの騎士様に不快なきもちにさせられたので、清めることにしたのです」
「物があるからって、あんまりいたずらに豪遊しちゃだめよ? 面子ってもんがあるんだから」騎士は質素な生活を営むひとの鑑でなければならない。その身分がこういった物資を引き寄せるのを避けられなかったのもまた、事実ではあった。「でも……開けちゃったものは仕方ない、よね」
 宝子さんに頂いたお酒なら、それはもうたいそう上等な一品に違いない。あたしは清酒が好きだった。自然と狐尾を踊らせてしまうほどに。誘惑に打ち勝つのは至難の業だ。宿莉ちゃんからおちょこを受けとり、口をつけて傾ける。口腔にほどよい甘味が広がった。しつこい酒気もなく、すっと喉を滑っていく。ついつい飲み過ぎてしまう類のおいしさだ。
「どうです、せんせ? なかなかイケるでしょ」乾いたおちょこを再びいっぱいにする宿莉ちゃん。
「おつまみもありますよー」と、どこからともなく儺玖莉ちゃんがおかきを盛ったお盆差し出す。
 こんないいお酒をふたりだけで楽しまれるのもなんだかしゃくだったので、遠慮なく頂く。そのまま、ずるずるとすすめられるがままに塩辛いおかきを肴に他愛もないおしゃべりに興じていると、一升瓶が空になるのはすぐだった。そのころにはアルコールがかなりまわり、あたしは強い酩酊を感じるとともに船を漕ぎはじめていた。
 いつの間にか抱きすくめるように、あたしの背中にもたれかかっていた宿莉ちゃんに、肩を揺さぶられた。「せんせー、もうおねむ?」
「えー、早すぎー、もっと相手してくださいよー」正面の儺玖莉ちゃんがあたしの腕を引いて異議を唱える。
「んー……でももうお酒もなくなっちゃったし……明日学校だし……そろそろ休んだ方がいいんじゃない……?」宿莉ちゃんのふくよかな胸に背を預けて、うとうとしながら提案。
「んふふ、お酒ならまだありますよ、せんぱい」
 どこに、と訊こうとした口に、柔らかくて温かいものが押しあてられた。鼻息が頬に当たる。溶けてくっついちゃいそうな口づけ。蜂を惑わす濃厚な花の芳香。薔薇を彷彿とさせる、危険な香り。振りほどこうともがいたけれども、手は儺玖莉ちゃんに握られていて、背後から宿莉ちゃんに腰に手をまわされているので動けない。
 ついばむようなキスと儺玖莉ちゃんの体温に身体の力が抜けていった。半開きになった唇に、ぬめった粘膜がねじこまれる。くちゅくちゅと口内をかきまわして、舌を弄んではとろりとした甘い唾液が流しこまれる。頭がくらくらして、意識が朦朧としはじめる。なのに、心臓ばかりどきどきと早鐘を打つ。よくない傾向だった。
 首を反らせてひっぺがすと、待ちかねていたみたいに今度は背後から、同じ感触、同じ匂い、同じ味の唇。ますます手足が脱力し、ますます胸が高鳴る。いつもより早く、全身がぽかぽかしてくる。たぶんお酒だけのせいじゃない。
 唇が離れる。自分の吐く息が荒く、熱を帯びているのがわかった。身体の芯が切なくて、もどかしくてたまらなかった。キスだけなのに、行為の真っ最中のような昂ぶりだった。このままいけば絶対に流される。
「ふたりとも……はなして……」身をよじって脱出を試みる。
「はなして、どこ行く気なんですか、せんせ?」耳元で甘い囁き。
「ちょ、ちょっと……かわやに――」
「おトイレなんて生まれてこの方行ったことないじゃないですか、食べ物は粒子で全部分解されちゃうんでしょ?」にやにやと儺玖莉ちゃんが笑む。
「おとななのに、初潮も来てないし」くすくすと宿莉ちゃんが同意。
「ふたりとも、一服盛ったでしょ……排出してくるの、薬……」きっと、ママからもらっていたあの小瓶だ。ママのつてを使ってでしか手に入らないような、よからぬ粉末だったんだろう。
 くすくす。「まァまァ、毒ってわけじゃないですし。でも、どうしても、って言うなら――」後ろから耳を甘噛みされる。ぞくぞくした刺激に脳が麻痺する。
 にやにや。「せんぱいの手を煩わせるわけにはいかないですし、わたしたちが――出させてあげますね」指先でおとがいをなぞられる。ひりひりした感触に理性が鈍る。
 ふたりにお蒲団に押し倒されるのを、あたしは抗えなかった。




 台所からとんとんとんと小気味よい包丁のリズムが響く。目が覚めたときにはもう、ふたりともセーラー服に着替えてとっくに学校の支度を終えていた。宿莉ちゃんも儺玖莉ちゃんもあんまり寝てないはずなのに、こういうとこだけは抜けてない。
「結局、昨日のアレはなんだったの?」洗面台の前で宿莉ちゃんが髪を結ってくれるのに身を委ねて歯を磨きながら、カスタマーズフォーマットが定時ダウンロードしてきた新聞記事に寝ぼけまなこで斜め読み。
「あー、アレ、一時的に連動制御用のローカルエリアネットワークを構築するプラグインコードですよ。生体リズムを双対的に同調させて、感情や体調を分散させられるんです。インプラントネットワークのバイオリズムシステムを直に乗っ取るものだから、脳のグリンパティック系とバッティングしない優れモノなんです」得意げに胸を張り、「昔は前線の兵士に使ってたそうですよ。これは統一するんじゃなくて並列につなげるものだから、その本質は違いますけど、イメージ的にはホモゲシュタルトみたいなものかなー」毒じゃないって言ったでしょ? と宿莉ちゃんはつけ足したたけれど、全身が筋肉痛を訴えている上にあちこちの粘膜がひりひりして――結局後ろも使われたようだった――、こめかみには軽度の治癒痛だ。いくらか記憶の失われた昨晩の続きは、よっぽどひどいことをされたようだった。
 宿莉ちゃんが今度は櫛で尻尾の毛づくろいにとりかかる。尻尾のデバイスは粒子散布と放熱を兼ねた機構であるためどうせぼさぼさになるのに、毎日飽きずに毛並みを整えてくれる。
「さすがに第二一八天は記事になってないみたいですね」横からのぞき込んで見出しに目を通す。
「まァ、まだ空在だからね。不必要に不安を煽っちゃうし、人民のための緘口令ってやつかな」
「せんせって、ほんとよく、心にもないこと口にしますよねー」
「せめて物は言いようとか、そういう方向で攻めてほしかったかな……」
 宿莉ちゃんがくすくすと笑みをこぼす。「そんなせんせも好きですけどね」
 がらがらと口をゆすぎ、振り返ったところで待ち構えていたかのように宿莉ちゃんが唇を重ねてくる。昨日とは違い、慈愛と親しみのこもった軽い口づけ。
「で、今日のわたしの運勢はどうですか?」
 少し考え込んで、「んー……、疲れやすい一日、食べすぎに注意、ラッキーカラーは黄色、かな」
「せんせって、ほんと毎日ろくなこと占わないですねー。ま、当たった試しもないですけど」苦笑する宿莉ちゃん。
 ただしくは占いではなく、生体外部と内部の、履歴や現在の情報を統合した、統計に基づくちょっとした予測だ。代謝産物を測定分析し、タンパク質と亜鉛とビタミン、それに睡眠時間がやや不足していたという判定結果と評価を、女の子好みにファジィに情報濃度を希釈して占い仕立てにしただけにすぎない。あたしが薄めた通りに占いを解釈しなければ、当たることはない。それに、こっくりさんというものは未来ではなく真実を明かす存在だ。あんまり鵜呑みにされても困る。
 座敷に戻ると、儺玖莉ちゃんがちゃぶ台に朝ご飯を並べていた。白米に味噌汁、ひじき入り卵焼き、鳥肝の煮つけ、ほうれん草のおひたし、かぼちゃの煮物、といつもどおり色彩豊かな食卓だったけれど、「はー、なんか、朝から気が滅入るラインナップだなー」宿莉ちゃんは不満げにぼやいた。
「納豆もあるよー」
「いや、そういうことが言いたいんじゃなくってさー……、花も恥じらう年頃の乙女が食べるようなもんじゃないよね? ミートパイだけの方が断然マシ」
「何言ってるの、せんぱいにはちゃーんと栄養あるもの食べて健康でいてもらわないと」
 数時間前にさんざん、ひとの身体にピアスを開けるだの刺青を入れるだの好き放題抜かしていた子が言うセリフじゃなかった。突っ込む気力もおきずに、ちゃぶ台を囲み、いただきますをして味噌汁をすする。
「せんぱい、今日はせっかく満月なんですし、学校終わったらデートしましょうよ、デート」
「あ、いいねー!」
「えー、今日ぐらいゆっくり休みたかったんだけど……」
「だらけすぎはよくないですよ、せんぱい」
「そうそう、常に気を引き締めてないと不測の事態に対応できませんし、何より他の者に示しがつかないってもんです」
「だからってデートは――」言いかけたところで、インプラントネットワークを通じて、強制受信。非常管内伝達。
『金刀比羅院から全院へ』宝子さんのハスキーな声音。『酉の方角、丙都定義外より十里先に中天位の次元を探知。天位迎撃要請発令。全院即時出撃、繰り返す、全院即時出撃。昨夜のモデルおよび運動パターンと酷似、天丙院は第二一八天と断定。全院注意されたし』
「うッそ、朝なのに!?」宿莉ちゃんが大急ぎでご飯をかきこむ。
「……? どうかしたの?」局員ではないため伝達を受信してない儺玖莉ちゃんは、不思議そうな顔をしていた。
 あたしも味噌汁だけ飲み干して、「儺玖莉ちゃんごめん、緊急事態だから、行くね。あとはお弁当にしといて」ニキーダの眠る培養炉へと向かった。




 蚕――というより神――には習性がある。行動パターンと言い換えてもいいだろう。火を吹く者、雨を降らす者、鉄を食らう者、毒を吐く者、太陽とともに現れる者、月明かりの下を歩く者。蚕はその受肉した偶像が持つ特性に忠実に従う。従わざるをえない。それゆえ、日中活動できる蚕は狩りつくし、おおかた定義し終えたはずだった。陽が出ているとき、我々の死角は少ないからだ。つまり二重の意味でイレギュラーなのだ、この第二一八天は。
「射鶴木院から全院へ、多数の小地位発生を確認。中天位は陰性と断定。注意されたし」
 菌が繁殖する過程の映像を早送りしているみたいに、ラベリングされた目標の周囲に小さなモデルが増殖する。機首を反してロール、コンソールを出す。反転した頭上、ぎらりと陽光をはね返すこがねの星が大地を疾走。下がったあたしの穴を埋めるように、宝子さんが前に出た。『目視、掃討します』
 地を這う金果が近寄る蚕を光り輝く高密度の質量で切り潰すのを見届けながら、ママがまとめてくれたパッケージを修正しつつ流れ炎をひらりとかわす。HMDに、あまり親しみのない、機体温度が深刻値に達しかけているとの警告。
 黒灰蜂の生体装鋼は薄く、軽く、熱伝導率を高く設計されている。紅火蜂と違い内燃機関を有せず、風天の権能のみによる垂直離着陸および高速高々度長距離航空を可能にするため、機体の冗長性を大気の通り道として用い、結晶コンピュータや電気系統の冷却システムを飛行時の空冷頼りにしているからだ。つまり、早く多くの情報収集がコンセプトのニキーダにとって、炎天下の長時間防衛はまったくの専門外。攻撃目標が火を使うとなれば、語るべくもない。
 焦燥と気温、通気性の悪い耐熱絶縁コートのせいで滝のような汗が首を伝う。セーラーが背やお腹にべっとりとはりつく嫌な感触。
 宝子さんが小地位を蹴散らしている間に上空からユーリーが急襲、ひとまわり大きく可視化された天位の蚕に、烈火を投げつけて足止めを図る。小地位のみでは観測しきれなかった動特性、静特性のデータを得るために、火力は絞り気味。中天位まで強制排除というわけにはいかないからだ。
『東雲先生、深追いは禁物です、空間転移を忘れないように』
 深紅の巨躯がコントレイルで正の二次関数のグラフを描いて、空に戻る。『心配しすぎだってー、宝子さん。飛んでれば大丈――ぎゅ』
 突如として、ユーリーがストール、宙に静止。それどころか紅火蜂固有の内燃機関すら停止、明らかに揚力剥離を起こして墜落を始めていた。
 そして、消失。ユーリーを中心とする空間が、拡張モデル上で暗黒の球に置換された。あたかもブラックホールに飲み込まれたかのように。
「色刃ちゃんッ!?」ぐらつき。失神しそうなほどの。
『せんせ、落ち着いて!』宿莉ちゃんの声に呼び戻される。『消えたのはオンラインの観測データだけです! 色刃ちゃん先生のまわりを、真空にされてるだけ!』
 HMDを額に押し上げる。乾いた風が眼球に吹きつける。蚕のモデルが視野から失せる。代わりに、喉元を抑え、しがみついた紅火蜂ごと落下していく色刃ちゃんの姿を見つけた。函杖の鯉口を切って大気を送り込む。
『せんせ、質りょ――』
 宿莉ちゃんが警告し終えないうちに、眼下、天位がいた位置から黄金の煌めきが発せられる。それは現実には存在しえない光学特性――金果の、聖天の権能。真っ先に察し、駆け出していた金果が天位と切り結ぼうとする寸前、煌めきが転移、体勢を立て直したばかりのユーリーの真下に出現、天に向かって光の奔流を放つ。
 光は矢となり、すんでのところであたしが蚕とユーリーの間に呼び起こした竜巻をいとも簡単にかき消し、紅い巨躯を貫いた。超高温の金微粒子が竜巻で紅火蜂の重心からわずかながらも逸れ、生体装鋼を貪り、炭化させる。
 ユーリーのエンジンが発火、爆裂。急速に膨らんだ大気に弾かれて、ユーリーが緊急脱出。速度と揚力を得て片肺飛行で戦闘空域から出る。権能で自爆させて強制点火したためにぼろぼろに焼け焦げながらも大事はなさそうな色刃ちゃんを目にして、あたしは胸を撫で下ろす。
『げほっ、がほっ……し、死ぬかと思ったー……弧狗狸ちゃんありがとー』
『東雲先生、スモークは切ってください。戦線から一時離脱を』宝子さんが指示を飛ばし、『射鶴木先生は――』迷う気配。
 宝子さんも、この異常な事態を感じ取っているのだ。今断言できるのは、この第二一八天がこれまでの常識を覆す存在であり、掴みどころがなく、本当にこの世に受肉しているのかもはっきりせず――かつ選択的学習能力を保持している、ということだ。
 火炎はユーリーの、溶解した金の流束は金果の、そして真空はニキーダのなせる業だ。蚕はそのすべてを学び、模倣してきた。概念を吸収したまま実施できるその万能的な機構――あるいは書式――も驚くべきことだけれども、重要なのは、蚕がこちら側の物理法則だけにとどまらず、あたしたち三機三柱の戦術的意味を解析し、評価し、重みづけし、戦略的に優先順位を設定してきたことだ。
 飛行能力のない金果は転移と、三柱の権能を駆使すれば突破は容易。決定打がなく脆いニキーダは放置しても問題はない。だから、最も火力のあるユーリーが真っ先に狙われた。
 たぶん、とあたしは推測する。この蚕は飛行する概念も学習している。だけどあえて飛ばないのは、あたしか色刃ちゃんを仕留める最後の手段として隠しておきたいからなのだろう。ただ物真似をするだけの相手ではない。こちらが定義を完了するまで討伐できないのも、おそらく知っている。だからと言って、確実に最後まであたしや宝子さんが攻撃されないという保証にはならない。やれるときには、やるだろう。一歩も退けず、ユーリーの戦線復帰が望めないこの状況で、自分がデコイになるか、あたしにデコイをさせるか。宝子さんが悩んでいるのはそこだ。
 通信が黙していた時間は一秒にも満たなかった。『……わたしが構築していた定義を託します。一刻も早く、定義を完成させてください』すがるような口調。
 ファイルが届く。車輪が土を噛んで、黄金蜂が蚕に突撃する。黒灰蜂の方が長生きできると考えたのか、あるいは――。
 上昇気流を生みだし、一息に高度を上げて旋回、函杖を鞘に。常駐させていたセキュリティやメタ観測などのサブシステムを落とし、さらにニキーダのバイタルモニタとローカルセンシングまで中断させ、作業領域を少しでも確保する。女王蜂が、ニキーダからボイドが生まれてセンサーネットワークが途絶えているとアラームを発信してくるのを無視。「宿莉ちゃん、みんなの観測データにアクセスしてこっちに送って。昨日の戦闘の分も」
『御意にー、どの部分です?』
「全部に決まってるでしょ。早くして」
『ぜ、全部ですか? トラフィックが足りなくてすっごい時間かかりますけど……』
「モデル同期切って。こっちはもう観測も、実空間モデル分散コンピューティングからも外れてるから。あと対色迎撃砲のカメラもジャミングして」
『ちょ、ちょっとせんせ、いくらなんでも無茶苦茶すぎないー……?』当惑しながらも宿莉ちゃんは作業を進める。
 女王蜂からの警告音声がぴたりと沈黙。同期を失い、実空間描画レベルが最低に。HMD上のモデルが敵味方を識別するだけの最低限の機能を備えた簡素なアイコンに置き換わり、離散的な挙動で振る舞う。つかの間の、電子の静寂。地上では宝子さんが蚕と戦っているし、耳元では自然風がびゅうびゅう唸り、太陽は依然として猛威を振るいあたしを照りつけているのに、いきなり、たったひとりで世界の何もかもから隔絶され、先のない虚無に迷い込んだ気分に陥る。女王蜂の拡張モデルから外れ、何者からも観測されないのは、たぶん生まれて初めてだ。あたしを除くすべてのひとの死角は、あたしをひどく心細く、不安にさせた。蚕もこんな気持ちを抱いているのだろうか? 彼らも?
 大量のコンソールを呼び、書きかけの定義とママからもらったパッケージ、宝子さんが作っていた定義を一斉に開くと視界が微分方程式と行列式、論理記号で埋め尽くされた。その全部を最初から訂正し、拡張していくも、すぐに手が止まる。宝子さんの定義とその証明は水も漏らさぬ、とまではいかなくとも、シンプルでいて明確で隙がなかった。それに比べ、急ごしらえとは言え、あたしの定義のなんと大雑把で形骸的なこと。宝子さんのことだから、きっと昨日の夜からとりかかっていたんだろう。あたしは自分で書いていた定義を要素ごとに分割し、廃棄。ママのパッケージと合わせて宝子さんの書式に結合させる。
 事態は差し迫っているけれど、第二一八天の選択的学習能力――こちらの物真似をするという根幹を成す特性が判明した。これはかなり重要なピースだ。だけどまだ足りない。空間転移――本当にそう称していいのかも疑問だけれども――の正体が暴けていない。
 ようやく宿莉ちゃんから送られてきた観測データを一度に展開。少しの仕事遅延。結晶コンピュータ内の温度が危険な証拠。黙殺して再生。蚕が転移を用いた瞬間の各データを穴があくほど凝視する。あたしたちが調伏した神の中に、このような事象を引き起こせる者はいない。地球上に点在する十の都の、どこにもだ。蚕があたしたちの物真似をするならば、それは変だ。なら、前提が間違っているということに他ならない。
 転移前と転移後を繋ぐ足跡に着目する。それは転移の後に、地面に現れていた。――因果の逆転? それこそ否。そんなことはできっこない。ならば何? 彼らはあたしたちの何を学習している? あたしたち騎士が持っているものって、他に何がある? 心黄? 核? 彼らだって持っているし、むしろもとを正せば彼らの技術だ。あたしたちはそれを使い回しているだけ――。
 あたしははっとする。そう、使い回している。彼らの業を、利用している。真似をしていたのは人類の方なのだ。ならばきっと、と憶測を広げる。ある意味であたしたちと彼らは核で対称になった、双対なシステムだ。あたしたち騎士が神を斃すためだけに生まれたシステムならばきっと、第二一八天は騎士を狩るためだけに生まれたシステムだ。ひとを護る守護者ならばきっと、彼らを護る守護者。ひとに創られた生命ならばきっと、彼らに創られた生命。ひとの使い、彼らの使い。ひとならざるひと、神ならざる神。異界の騎士、――その概念。観測する者、その化身。その本質は模倣でも双対でもない。歪んだ鏡の向こう側。自発的に対称性を破られた、世界の境界線。こちらと彼らの状態の重ね合わせ。八咫烏の四本目の足。天でも地でもひとでもない、最後の観測者。いながらにしていぬもの、見ながらにして見られぬもの。我と彼。彼我の境。
 ふと、ユーリーが退避のときに残した黒煙が目に留まる。まさにその瞬間、地上で宝子さんを牽制していた蚕の火炎を解析する。燃焼しているその成分はガスでも油でもなく、観測粒子。これではっきりした。一気に定義を書きあげ、証明。HEDLに直結。パブリックカテゴリタグを外して特定のキーワードで検索をかける。該当伝承、一件。
 定義をコンパイル。無矛盾。ラン。
「射鶴木院から全院へ」女王蜂を通じて定義パッチをみんなに配りながら、函杖に定義式を実装する。「定義の証明終了を報告します。当該蚕は、我々の観測粒子を記述し、観測粒子そのものを核としています。ゆえに現在、彼らの観測と我々の観測は混線している状況にあります。初めから転移などしていません。この観測ドメイン自体が、こちら側と彼ら側を曖昧にしているのです」
 要するに観測空間全体が核化し、ミクロでもマクロでもこちらと彼らの門となっているのだ。そして核にとっての観測の対象とは、運動情報以外にも結果の逆算から導かれるプランクスケールの相対的な時間、空間情報をも含む。有限回数の近似計算手順で観測トリガーと被観測トリガー、記述群と被記述群が同一視される。彼らが意図した現象かどうかはわからないけれど、アーキテクチャが情報に近い分だけ彼らは、そういったネットワーク――本当の意味であらゆる結びつき――のカオス、事象のシチュー、あるいは集合のマグマから任意に観測結果を抽出できることに気がつけたのだ。そんな空間の中では、拡張モデル、電子空間も実空間も区別はない。網膜インプラントを介すことなく、別の誰かが認識することでその場にはテクスチャが炙り出される。導体中に詰まった電子が押しだされることで電流が見かけ上光速で動いているように、時間の概念すら失う。そこでは観点の相違は、網目状にくまなく充填された境界によって――これももちろん、あたしたちの見え方のひとつにすぎないのだけれども――緩衝され、同調する。まるで例のプラグインコードのように。こちら側の双対と彼ら側の双対、計四つの段階的な双対が、この一個の複合世界を生みだしていた。
 第二一八天を見抜けなかったのはこちらの観測粒子が彼らのそれと同一だったために、彼ら側の観測を傍受させられていたこと、そして第二一八天自体が神でもなんでもなかったことに起因する。ひとにとって神が脅威だったのは過去のこと。彼らはより、彼らにとって厄介な記述を掘り出した。それが――。
「以下詳細は配布した定義により。これをもって新規カテゴリ、鬼を作成、第二一八天を天邪鬼と定義し、色在とします。以上」
 鬼。彼らにとって、ひとは彼らならざる異界の侵犯者、触れざる悪鬼だ。模倣者であり、悪魔の使いこそが、彼らのあたしたちに対する解釈であり、あたしたちで言う天邪鬼に他ならず、最終的に彼ら固有の偶像、信仰を成した。鏡映しのように、あたしたちと彼らでは解釈の順序が反転していたのだ。
 オペレーティングシステムを立ち上げ直し、急降下。宝子さんと蚕の間に割り込み、第二一八天――天邪鬼を下すためだけに情報調整された函杖を叩きつける。蚕が観測を捻じ曲げて逃げようとするところへ、大気中に内へと螺旋を描く不可視の紡錘形を発現させる。粒子が撹拌、確率が収束し、蚕はその座標にとどまり、函数を乗せた白刃が至る。蚕を函む無が、天邪鬼の片腕を切り飛ばす。天邪鬼は観測に頼らず実空間上で飛翔して距離を取り、定義の再構築を図りながら小地位を産み落とした。
『……解釈の齟齬。どおりで――』単独で中天位を食い止めてくれていたため、宝子さんは身体のそこここに怪我を負っていた。それでも定義を読みとおしてインストール手順を踏んでおり、戦意は萎えていない様子だった。『空間が双方向的に記述されているため、あたかも時間を操作しているよう再現できるわけですね。そして三十基の女王蜂と十の都の年間総消費電力に匹敵するエネルギーを投入すれば我々にもアクセスは可能、と』
『でも、この核ってどうやって回収するのー……?』後方で低空飛行していた色刃ちゃんが至極当然の疑問を口にする。
「あとでこの辺一帯をお掃除するしかないんじゃない?」腕を再生させた天邪鬼を見据える。定義も完成し、三体一。負ける道理はない。




「射鶴木先生」天丙院の地下、メンテナンス用の培養炉からようやく解放されたところで、宝子さんに声をかけられた。「少しお訊ねしたいことがあるのですが」
「お疲れさまです、金刀比羅先生」頭部や脊髄などあちこちに突き刺されていた忌まわしい電極を、ぶちぶちとぞんざいに抜く。「どんなご用件でしょうか」
「先ほど提出なされた定義の件で――」と、ふいに視線をそらし、「……その。何かお召しになったほうが」
 言われて自分が一糸まとわぬ姿だったことに気づく。「あ、ごめんなさい、お見苦しいところを」あたしは気にならなかったけれども、宝子さんからすれば見ても面白いものじゃなかっただろう。
「いえ、あの、そんなことは――」なぜかうろたえた様子で虎縞の尻尾をそわそわさせる宝子さん。
「……?」疑問に思いながらもそそくさと尻尾が吸った薬臭い溶液を絞り出し、ガウンを羽織る。
「あー、こほん。……それでですね」宝子さんはタイルを見つめたまま続ける。「定義の名義がわたしになっているようですが、これは一体どういうおつもりなのですか?」
「あの定義は金刀比羅先生の書式がベースになってますし、先生にあそこまで書いてくださらなければ、あたしも書きあげられなかったと思いまして――ひょっとしてご迷惑でしたか?」
「いえ。しかし、よろしいのですか?」
「ええ、まだあたしは未熟者ですし、きょうだいを持つには早いと思うので」新しい子がきちんとした環境で育ってほしかったのは確かだったし、それに何より、あたしが弟か妹にかかりきになればあの双子は拗ねること請け合いだ。何をしでかすかわかったものじゃない。
「……そうですか。それにしても、よくお気づきになられましたね、あの観測群に」
「それは――」プラグインコードのこと、ひいては昨晩の交わりを連想して言葉に詰まる。「まァ……その、単にあてずっぽうです。運が良かったんです、きっと」
「それでも、助けられました。この借りは、いつか必ずお返しします」踵を返して部屋を出ていく宝子さんを見送り、スキャン結果を拡張現実上に出す。
 宙空に表示されている立体映像は、あたしのAIの記述に汚染的記述のないこと、前回の記録と比較して自律的成長が見られ、自動で組織化され紡がれた更新情報を、女王蜂のアーカイブに書き込んだ旨とその程度を三次元的に可視化したものだ。
 天との接触の後は記述汚染を最も警戒してしかるべき、かつAIのレスポンスをテストする一番のタイミングだ。感情や思い出などの日常的な変遷や意識の偏差、揺らぎを逐一保存しておくのは手間やコスト面からあまり現実的ではないけれど、大きな戦闘で積んだ経験値さえ予備を取っておけば、騎士としては事足りるのだ。戦闘時にどれほどの被害を被ろうと、最悪心黄だけ確保しておいて蜂と騎士は再製造すればいいからだ。たくさんの資源を食うとはいえ、騎士の肉体は換えが利かないわけではない。
 そうして今回もバックアップされ積み重なったあたしたちのAIが、新しい子の思考回路を構成するだろう。長らく厳格性、冗長性、摂動性の三騎体制でバランスを取られていたあたしたちのAIも、四騎体制にチューニングされるだろう。より膨らんだ多様性を受け入れる形で、より柔軟に確実に丙都を護るため、あたしたちの行動原理や思考手順は少しだけ、ほんのちょっぴり書き換えられるだろう。新たな天を迎えて、ひとが地に在るいやはての日は、これでまた延びただろう。少なくとも一日は。


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