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ForbiddenGraveFruits第一話「PPP」3/3

前回までのあらすじ……ハメられる→おっぱいもみもみ→精液かけられる
嘘は言ってない。 試験で忙しくなるから次は三月くらい。

 リノリウムの床に無数の穴が穿たれていた。穴だけではなく、大きな焼け焦げや鋭角的で深い爪痕も刻み込まれている。キャッスルは新品同様になった自分の褐色の肌に触れながら、床の惨状を見てぞっとした。今までこの破壊をヘイクと自分の身体だけで背負っていたのだ。よく死ななかったものだと思った。周囲を見回した。電動ドリル、チェーンソー、金づち、釘。つい最近閉店した個人経営の工具店だった。理由はわからないが取るものもとりあえず閉めたといった体で、商品は陳列されたままの状態で残っていた。店の規模は大きくはないが、工具の品ぞろえはいい。キャッスルはこれなら作れそうだと買い物かごに適当に工具を放りこんでいった。
「もうけがはありませんね?」テスティトが悪魔をひっこめながら言った。
「おかげさまでね」床に座り鏡と睨めっこしていたヘイクは満足したのか鏡を投げ出して煙草に火を点けた。「で、これからどうするの? あいつらの仲間まで出てきたのにまだ殺そうっての? もう暗殺なんかじゃなくて戦争じゃないの、これ」
「教会の存在理由を忘れたのですか? 州に逆らう悪魔祓いはすべて排除しなければいけません。相手が多いから逃げ出すようじゃ教会はいらないのですよ」テスティトが冷たく言い放った。
「餅は餅屋ってことだろ。戦争なら軍に任せたらどうなんだ?」マーチが抗議する。
「これはもともとはうちの仕事です。たとえ戦争になろうが表面上、軍と教会は独立しているので軍が介入するのはありえません。先月の失敗もありますし」テスティトが首を横に振った。「たぶん情報屋にもそこを突かれたのでしょうね。あの情報屋は今まで中立を保っていましたが、うちと軍との軋轢を悟って己の身の振り方を考えたんでしょう。そして、教会をよく思わない軍の連中から声がかかった。今までこんなことはなかったし情報も正確でしたから、単なるディープスロートだったというわけではないでしょうね」
「何それ? ポルノ映画か何か?」ヘイクがどうでもいいことに食いつく。
「内部密告者よ」必要な工具を集め終わったキャッスルがヘイクの横に腰を下ろした。「情報屋がパージャたちと同じ反軍陣営だったと考えるには悪魔憑きの情報を売りすぎ、ってわけでしょ」買い物かごを漁り電動ドリルの刃を悪魔の手で解体していく。「今回の黒幕は情報屋をそそのかして、パージャたちと教会が真正面からぶつかりあうよう情報を流させた軍ということですね?」作業しながらテスティトに確認する。
「推測の域をでませんけどね」テスティトは肩をすくめた。「中立だった情報屋が、この州で二番目の武力をもつ教会相手に自らことを起こすとは思えない。起こすとしても大きな後ろ盾を確保してからでしょう。それは自然とこの州で一番目の武力をもつ組織、軍になる。情報屋が進んでやったわけでないにしろ、圧力をかけて教会を攻撃できるのも軍だけ。あそこも一枚岩じゃないのはわかっていましたが、ここまであからさまに妨害してくるとは思いませんでしたね」
「でもうちが潰れて軍にいいことがあるの?」ヘイクが問いかける。
「軍に利益があるかどうかは別として、先月の件での不信任決議といったところでしょうね。潰されるのはあくまでヘイクやキャシー、私たち個人であって、教会ではありません。私たちがいなくなれば別の悪魔祓いが教会を取り仕切る。軍と教会は実質的に直接繋がりはありませんから、そういう形で代替わりをさせようという魂胆なんでしょう」とまで言ったところで一息入れて、「まァそれは置いといて、今は目の前の問題を片づけましょう。あなたたちと私たちの情報を統合すると、敵の人数は最低三人。パージャとポーラ、私たちを尾行していた人物。神父様に軍の昔のデータベースを調査してもらったところ、ポーラの情報がありました」テスティトは一枚のコピーを取り出した。「ポーラ・ポイズン・ピース。パージャの妹。パージャと同じ部隊に所属していた遊撃兵。内戦の直前に死亡。軍の墓地に埋葬されたはずですが、たぶんパージャの変装だったのでしょう。悪魔は精緻化リハーサルの具現。ポーラ自身に印象付けられたイメージを実体化することですね。簡単に言えば、ポーラが精液は燃えると思えば実際に燃えるというわけです」
「何だそりゃ反則じゃねェかよ」マーチが不平をぶちまける。
「ただ、実体化は任意でもそのもととなるイメージを制御することは不可能みたいですね。ものや行動から生まれるイメージは本人にとって不変ですから、一度見た攻撃を読むことは容易でしょう。問題はだれが相手をするかですね」
「あたしがやります」キャッスルは手元から目を離さずに言った。「道具を使うならポーラにとってあたしは天敵なはずです。そしてパージャはあなたが倒すのよ、ヘイク」
「どうして? パージャなら私よりテッサの方が得意そうじゃない?」ヘイクが煙草を床に押し付けて消した。
「三人目の悪魔がわからない以上、あたしやヘイクが相手するよりかはテッサにやってもらった方がいいわ」そう言ってからキャッスルは完成したそれらをしばらく眺め、鞘にしまって二本ともヘイクに投げてよこした。「パージャはたぶんあなたとあたしに何か対抗手段を用意してくると思う。もうあたしたちにパージャの防御能力は知れてるし、自然と急所以外の注意は散漫になるわ。そこを突くのよ」
 ヘイクは受け取った二本のうち、長い方の刃を鞘から抜いた。鋼の輝き。刀身が四十センチほどもある銃剣だった。
「そっちは百年くらい前に流行った銃剣を模したものだけど、刃はちょっとやそっとじゃ折れないように作ってあるわ。切れ味もそこそこいいはずよ」
「いくらこいつが折れにくかろうが、ウルヴァリンの骨まで切れるのかよ? 機関銃でさえ傷一つつけられなかったんだぜ?」マーチがいぶかしげに訊いた。
「その銃剣じゃ切れないわ」キャッスルはあっさり言いきった。「パージャに対しては、銃剣はただの威圧用と思ってくれていいわ。でも、そっちの短いのは別」
 キャッスルが指差したのは、柄を含めても銃剣の半分以下の長さしかない革の鞘に包まれたナイフだ。ヘイクは銃剣を鞘に納めて、ナイフを抜いた。黒っぽい鈍い煌めき。通常のナイフと比べてかなり肉厚だった。
「微粒子のダイヤモンドをちりばめた炭化タングステンで作ったものよ。炭化タングステンは主に切削用工具に使われてるもので、普通は硬すぎて逆に割れやすいけど、カーボンナノチューブを織り交ぜて繊維質をもたせることによって割れにくくしてるわ。そいつをあいつの骨に押しつけながらマーチの力を使えば、たぶん骨を削れると思うわ」手元のヴィーナスのミニチュアは小指ほどの大きさにまで小さくなっていた。時間さえあればヴィーナスを使うことなく一からダイヤを作ってもよかったのだが、今はそんな暇はなかった。それに、もうヴィーナスは持っていても仕方ないものだった。贈る相手だった母はもういない。
「確証はあるんでしょうね?」テスティトが眼鏡の奥の瞳をすがめた。
「えェ。ヘイクが今まで使っていたナイフは普通の炭素鋼のものだけど、パージャを何度切りつけても折れなかった。理由はマーチの能力による保護があるから。それはパージャも同じ。パージャは骨が硬いわけじゃない。パージャの悪魔による能力は骨の結合を組み替えることと、骨の結合に影響することにより骨の隙間に介在すること。だからヘイクのナイフが折れないのと同じ様にパージャは硬い。つまり変質した骨の構造を破り、悪魔の防御がおっつかないほどの速さをもってすれば攻撃は通るはずです」
「よくわかんないけど、要はこの子ならあの忌々しいアダマンチウム合金を突き破れるわけね」ヘイクが心得たとばかりにナイフを弄びながら頷いた。
「何度も言うけど、ナイフの方はマーチの力を発動させながらじゃないと割れるわよ。それと、使ったらメンテナンスしてあげるから毎回あたしのとこに持ってくること」
「狼の牙だな」マーチが呟いた。「俺は狼の悪魔だ。俺にしか使えない武器なら、こいつは狼の牙ってことになる」
「そういえばタングステンは狼のような石って意味があったわね……まァ呼び方は好きにしてもらっていいけど」
「じゃァ決まりだな」ナイフを鞘にしまって満足げに笑むマーチ。
「問題はまだありますよ」テスティトが話を戻す。「なりふり構わず逃げてきたので敵の場所がわからないことです。追跡はされてないでしょうからあちらもこちらの正確な居所を掴めていないでしょうが、情報屋がこちらの隠れ家を知っていてあちらに教えるという可能性もありますので、時間の問題でしょう」
「……それに関しては手を打ってあります」キャッスルが言葉を選びながら言った。「が、あまり推奨されていないというか、その、州の条例に触れることなので、まだ完成はさせていません」
「どういうことですか?」
「発信器です」キャッスルはPDAをポケットから取り出した。「アンテナを作っていなので、パージャについているのは現段階でただの金属片ですが。使うのがまずいならこれは壊します」
「いえ、その必要はないでしょう」テスティトが考え込んだ。「アンテナを設置したところ、たまたまその端末にどこかのだれかの居場所がわかってしまうかもしれない、そういうことなら、神もお赦しになるでしょう」
「わかりました。この店のアンテナを修理しておきます」キャッスルは頷いた。懸念していたわりにはすんなりと事が進んだことに若干拍子抜けした。
「それじゃ、やつらが化粧直しをする前に出かけましょ」ヘイクが銃剣の長いストラップを肩からかけ、ナイフをブーツの中に押し込んだ。
 どう転んでもきっとこれがパージャたちとの最後の戦いになる。キャッスルにはそんな予感がしていた。



 エネミアの指示した配置はこれ以上はないと言えた。引き払ったばかりの拠点に敵の発信器を放置してドアや窓に爆弾を仕掛けた。のこのこやってきた兎が罠にかかるまで待ち構え、パージャとポーラが爆弾で負傷した兎に止めを刺すという算段だ。もともと拠点は侵入できるルートが少ない部屋を選んでいたため、罠に近づく人間はすべて四人でフォローしきれる布陣だった。ヴィヴィレストはビルの壁に張り付いた非常階段のせまい踊り場から、罠へと通じる路地を俯瞰していた。繁華街からそれほど離れてはいないが、テロと内戦が原因で開発が中途半端な状態で途絶えた地区だった。空き地もあれば打ち捨てられたアパートが乱立しており、機能している建物は少ない。人通りがないため、耳を澄ませば繁華街の話し声さえ聞こえそうな静けさだった。
 だから路地の入口に足音もなく人影が現れたときは、一瞬幽霊がでたのかとヴィヴィレストは自分の目を信じることができなかった。双眼鏡を覗かなくとも視認できる異様に赤い頭髪。白と黒のストライプが描かれたスーツケース。装飾の凝った衣装。見間違えようもない。今朝エネミアが買った碧眼の娼婦だ。ヴィヴィレストは舌打ちした。何故戻ってきた? スパイだったのか? 否、それならこんな不用心に現れたりはしないしあんな目立つ格好だなんてもってのほかだ。足音はしなかったぞと疑り深い自分が耳元でささやいた。犬猫じゃないんだ、聞き逃すことだってあると決めつけ、焦りにも似た何かに突き動かされてヴィヴィレストは踊り場から飛び降りた。ヴィヴィレストに気付いたのか路地を歩いていた赤毛は立ち止まった。「おい、何してる」ヴィヴィレストは赤毛に近づきながら声をかけた。「今日はもういいと言っただろう。客探しならよそを当たれ」赤毛は俯くばかりでだんまりを決め込んでいる。口だけじゃわからんか、といらいらしながら肩を軽く突き飛ばそうとヴィヴィレストは手を伸ばした。指先が触れるか触れないかのところである違和感を見つけた。明らかに、朝よりも背が低い。ヴィヴィレストははっとして腕をひっこめて飛びのく。赤毛を取り巻く大気が揺らめいたかと思うと、悪魔が鞭のようにしなってヴィヴィレストの足に絡みついて路地の外へと投げ飛ばした。赤毛がおもむろに髪を掴んで地面に投げ捨てた。黒髪が現れた。教会幹部。赤毛はウィッグか。
「どうやら当たりだったようですね、彼女は」少女が眼鏡をかけながら言った。
 ヴィヴィレストはすかさず銃を抜いて引き金を絞った。少女は見かけによらないすばしっこさで銃弾を避けて火線から退いた。そのまま踵を返して罠がある路地とは逆方向へと逃げていった。どう考えても誘いだった。おそらく仲間がいるのだろう。のるか、そるか。逡巡していたところに無線が入った。『チビを追え!』エネミアの切迫した声。『敵はあたしが捕捉してる。チビは一人だ。後はフォローするからこっちは任せろ。絶対に逃がすなよ』
「了解、アウト」言うが早いか疾走していた。ちらつく疑念――兎が牙をぎらつかせるイメージ。何故娼婦に当たりをつけていた? 言いようのない不安と包囲されているかのような危機感がった。本当に兎なのか? 兎の皮をかぶった狼ではないのか? だが足を止めることはできなかった。逃がすわけには。



 ビルの屋上でビニール傘をさしながらラッキーストライクをふかすエネミアの悪魔の探知に人間の影が新たに四人も引っかかったのは、ヴィヴィレストが教会幹部と邂逅する一分前のことだった。エネミアの悪魔は偵察向きではない。探知の分解能は高いため最大倍率ならばガス攻撃も見切れるが、範囲はかなり狭い。だが視界の悪いコンクリートジャングルでは監視の補助になるし、実際五感よりも先に敵を探知する結果となった。いつもの癖で無線に口を寄せて仲間に報告しようとしたところで、エネミアは踏みとどまった。敵は先ほど無線を妨害してきた。傍受の可能性も考えた方がいいだろう。あるいは無線からこちらの位置も特定されるかもしれない。配置の前にそう言いだしたのは誰でもないエネミアだった。こちらが発信器を利用している事実をむこうが念頭に入れてないとも限らない。腰を据えて警戒すべきだった。あのおチビの――幹部の悪魔の性質はヴィヴィレストやPPPの話を聞いても不明瞭だ。
 元来悪魔は既存の銃器とは違い単一の用途をもたない。それは悪魔という存在が目的をもって作られた兵器・道具ではなく、ある性質をもたせるために生み出されたものであるからだ、というのがエネミアの解釈だ。ナイフのように、ロープのように、悪魔の規格基準はコンセプトというよりは形状や性質だ。エネミアの悪魔の探知能力も、もともとの性質に起因したものにすぎない。そして悪魔はひとつとしておなじものはない。これは周知の事実であり、エネミアが内戦で幾百もの悪魔憑きを葬ることにより裏付けた真実だ。互いに似通った性質・形状をもつ悪魔はあれど、完全に同一の悪魔は存在しえない。内戦に悪魔祓い部隊が投入された時点で、連邦に悪魔憑きは実に数十万いたとされている。そのすべての悪魔が異なる種だったのだ。この事実に、エネミアはいつも自分の記憶と正気を疑う。たった一種のウィルスが生み出した数十万種の悪魔。感染者の遺伝子に依存して悪魔が変形すると考えるには悪魔の形状は意味を持ちすぎ、たとえ最初からきめられた型の中から組み合わされて悪魔が選択されるとしても、極小のウィルスの中に膨大な数の型を詰め込まなければならない。
 おそらく、とエネミアは思う。悪魔には原型がある。その原型は真空か重力かあるいは神か、何と呼ぶかは分からないがともかく不定形で半透明で逆らいようがなく意思を持たない何かだ。悪魔は原型によってその身体を構成し、原型の物性から例に漏れる悪魔はいない。その推測をエネミアはある仮説に発展させた。悪魔憑きや悪魔祓いが使役している悪魔はその原型――神か何かの身体の一部にしか過ぎない。ウィルスとは神の身体の一部と人間とをつなぐものだったのではないか、と。証拠も論拠もない飛躍した説だったが、ひどくしっくりくるのだ。悪魔があまりに意味のある形状をもつこと。あまりに目的をもたない性質をもつこと。その疑問を氷解させるのにはぴったりだった。もちろんその仮説が正しかったところで軍と対等になるわけではないが、まったく無益な考察というわけでもない。悪魔憑きと悪魔祓いの差の一つに、所有する性質の規模がある。悪魔憑きと比較すると悪魔祓いは格段に悪魔の性質が幅広く単純な戦闘力としてみても強力な傾向にある。悪魔は神の身体の一部という仮説に言わせれば、悪魔祓いはより多く神の身体を借りているがために強力なのだ。故に悪魔祓いを相手とする場合は特に、悪魔の本質や何をモデルに制作されたものか見極めないうちに敵の悪魔で皮算用をすると、足元をすくわれる羽目になる。チビの悪魔は数本の触手のような腕を持つ悪魔だと聞いている。タコかイカか、あるいは植物か。向こうが本性を現すまではわからない。じっと息をひそめて待つべきだった。
 そして今、エネミアの悪魔が補足した四人のうち一人がエネミアが担当した通路に入ってきた。他の三人は、一人が先行し二人組が後を追う形でヴィヴィレストの監視区域へと近づいている。エネミアはとりあえず目前の敵を確認するために、地面に落とす自分の影に気を遣いながら通路に顔を出した。つばの広い帽子。少女。血に濡れたブラウスにスカート。ヴィヴィレストの情報通り。幹部か? しめたものだとエネミアは唇を湿らせた。発信器をしかけるからには、兎たちは必ずといっていいほどエネミアたちに戦いを挑んでくるはずだ。だが幹部だけは本部に撤退する可能性があった。教会と軍に戦争をしかけるにあたり、まずは小手調べのつもりで組んだのが今日の作戦だった。作戦の目的で言うならば、教会と軍を仲たがいさせ教会の兎たちを削るのが要だ。だが思わぬところで幹部が出てきてくれた。兎たちはもはや取るに足らないものだ。無論、兎を取りこぼすようなまねをするつもりはないが、ここで幹部を倒すことができれば、自分たちの悲願――トロエが死の間際にエネミアに託した遺志でもある軍の粛清に一歩近づく。しかも一度幹部に巧妙とはいえないが手ひどく出し抜かれただけあって、その思いは強い。ヴィヴィレストはきっと自分よりもきつく辛酸をなめさせられたはずだ。
 エネミアは決して取り逃すわけにはいかないと肉食獣のように鋭い視線で注意深く観察した。だからすぐに、通路をふらふらと進み点々と赤い足跡を残す黒髪の不自然さを見とがめた。なんでふらついているんだ? いやそもそもなぜあんなに血だらけで手足にけがを負っているんだ? 傷口はまるで今しがたけがをしたとでも言わんばかりに血を滴らせ――陽炎に貫れていた。思い至ったエネミアは口汚くチビに対する罵詈雑言の類を思いつく限りまきちらしながら、傘をたたんでビルの非常階段から駆け降りた。チビの罠だとわかっていながらも、動かないわけにはいかなかった。階段を降り切った。通路を全速力で駆け抜けた。追いついたのはあっという間だった。帽子の下からは赤毛が覗いている。少女を取り巻く陽炎に傘を叩き込んだ。大気に溶けるようにして陽炎は霧散した。少女の身体が崩れ落ちるのを寸前で片手で抱きとめた。帽子が落ちた。少女に意識はなかった。肉づきのいい身体を検分する。息はかろうじてある。手と足にむごたらしく真円が口を開けて血を垂れ流し続けている。それだけならまだいい。背と腹を繋ぐ穴が穿孔されていた。とめどなく流れ続ける血。臓物。脊髄はきっと、断ち切られているだろう。青い瞳が開かれることは、もうないだろう。エネミアは奥歯をかみしめた。無関係な人間を。否、実際のところ無関係ではなかった。エネミアが少女を買った時点で。傘を広げて肩と首で固定した。ヴィヴィレストが敵の一人と交戦していたのが感じられた。後続の二人組は物陰に潜んでいる。罠は読まれていた。敵の一人がおもむろに戦線から離脱して急速に離れていった。その先にはだれもいない。気付いた時には無線に叫んでいた。「チビを追え!」感覚的にそいつが幹部だという確信があった。兎は一人にならないという確信も。「敵はあたしが探知してる。チビは一人だ。後はフォローするからこっちは任せろ。絶対に逃がすなよ」ヴィヴィレストの即応を聞き、続いてPPPに無線を飛ばす。「罠がばれた。ヴィヴィの区域に兎が二匹。二人で当たれ。任せたぞ」ヴィヴィレストが挟撃されるのを防ぐためには、ヴィヴィレストを追わせ、PPPにフォローをさせるしかないという判断だった。そして何より自分自身がチビに始末をつけさせてやりたいがために。アスファルトの上にそっと少女の身体を横たえてやった。「すまん」両手を豊かな胸の上で重ねてやり、ぎゅっと一度だけ握った。うっすらと目が開かれた。ぎょっとして覗きこむ。紺碧の瞳。ディープ・ブルー。トロエと同じ瞳。美しさに飲み込まれるかと思った。「仇は取ってやるからな」それだけ言って、頬に口付けした。瞳はもう、閉じられていた。心臓は静止し、呼吸も止まった。エネミアは振り返ることなく駆けだした。



 PDAが示す位置が目と鼻の先まで迫ったとき、先を行くテスティトがキャッスルとヘイクに掌を突き出して止まれと指示した。テスティトは無言で悪魔を呼び起こし、廃ビルの間を索敵しはじめた。半透明の揺らめきが、テスティトの豪奢なワンピーススカートの裾をはためかせた。つい数分前に周囲でうろついていた赤毛の、ヘイクいわくとびきり可愛い少女から金と職に物を言わせ、テスティトが身に着けていた衣服と交換したものだ。ついでに買い取った空っぽのスーツケースを引きずって、キャッスルが作りだした赤毛のかつらをかぶっていた。発信器に次ぐ第二の意趣返しと言うわけだったが、あまり効果は期待できそうにない。何しろ赤毛の少女とテスティトでは頭一つ分とはいかないまでも背丈がかなり違う。そういえばとキャッスルは少女に思いをはせる。あの気の弱そうな子はちゃんと逃げただろうか。危ないからさっさと立ち去るようにテスティトが言い含めたが、なんというか話があまり通じないタイプだったからまだその辺をうろついていないとも言い切れない。歳はたぶん同じくらいだろう。深い青の眼が澄んでいて綺麗だった。もし――自分もあの子も学校に行っていたら知り合ってたの? ばかげた考えのような気がしてキャッスルはすぐに打ち消した。
 テスティトがこちらを見て二度小さく首を縦に振った。プラン・ブリジット――すなわち敵が発信器を見つけて待ち構えている場合の対処に移行というわけだ。ヘイクとキャッスルが同じように頷きで返すと、テスティトが静かな足取りで路地を曲がっていった。いくらもしないうちにモデルみたいな長身で黒髪の美女が路地から吹っ飛んで地面に転がった。美女は滑らかな動作で銃を抜き放ち路地へと二度三度と銃撃を浴びせた。その合間を縫うようにして赤毛を脱いだテスティトがくぐりぬけ、路地から飛び出してくるやキャッスルたちが潜伏している方向とは逆に走り出した。美女は一瞬耳に手を当てて、すぐにテスティトを追跡した。テスティトの情報通りなら、黒髪の女は九歳の女の子とスパイごっこをしていたやつだろう。女がテスティトを追わずとどまるなら、三人で挟みうちしてすみやかに仕留める。追ったならヘイクとキャッスルでミュータントの本拠地を叩くのがプラン・ブリジットだ。女に気取られないようにキャッスルはヘイクと路地に身体を滑り込ませる。あやうくテスティトが放置したスーツケースに足を取られて転倒しそうになった。PDAを横目でとらえながら慎重に罠を警戒して道なりに進む。猫一匹いる気配もない。遠くで銃声がする。テスティトが戦っているのだろう。間もなくひらけた空間に出た。
「来るぞ」マーチが鼻をひくつかせた。キャッスルとヘイクは背中を合わせ二人を取り囲む建物の窓にせわしなく目を配った。「上だ!」飛び退きながら空に向かって発砲。直後に砲撃のような凄まじい衝撃がアスファルトを粉々に砕いた。破壊の中心に可憐なブロンドのウェイトレス。眼は健在。口を開く間も与えず立て続けに二人で自動小銃による十字砲火の雨を降らせた。足、腹、胸、頭と銃弾は容赦なく弾痕を刻んでいくがウェイトレスは顔を腕で覆うだけで動じない。つまりパージャ。つまり――囮。ポーラは? 「キャッスル、後ろだ!」マーチが声を張り上げた。首筋に冷たいものを感じ足をたわめて伏せた。キャッスルの金髪がひと房、ばっさりと切り落とされた。同時に悪魔の腕を発動して背後をなぎ払う。空振り。振り向こうとする寸前に血まみれのパージャがキャッスルに向かって走り出すのが見えた。真っ先に自分を仕留めるつもりらしい。キャッスルはそのまま地面を蹴って垂直に飛んだ。悪魔の手を二階の窓枠にひっかけて身体を持ち上げ、ポシェットから閃光弾を取り出しピンを口で抜いて足元に落とした。まぶたを固く閉じ耳をふさいで口を開けてからポーラがいたと思われる方向に小銃で撃ちまくった。閃光弾の炸裂。眼を開けた。真下は無人。視界の隅にヘイクとパージャが格闘している様が映る。
「どこを狙っているのかしら?」上から降ってくる声。ポーラがはだしで壁面に立っていた。銃口を向けた。ポーラの右手が閃く。銃が急に軽くなった。銃身は半ばで断れていた。小銃を捨て拳銃を抜きポーラの顔を狙い撃ちながら悪魔の拳を叩き込む。コンクリ壁の上でかろやかに悪魔を避けながら、ポーラの右手はさらに翻って耳障りな金属音を立て銃弾をたたき落とした。ポーラが壁を下って革手袋に包まれた左手を突き出してくる。悪魔の手を離して重力に身を任せかろうじてかわす。空気が焦げる匂い。落下しつつも銃撃の手は休めずに、着地のために地面に向かって悪魔の腕を展開する。ポーラは壁を蹴って隣のビル壁に巧みに移動。拳銃では捕まえられないと断じて、破壊された小銃と合わせてショットガンを組み上げた。薬莢を薬室に送り込む前にポーラが壁面を駆けて迫る。カウンターで不可視の拳を襲撃に備えながら撃つ。ポーラは信じられない瞬発力を発揮して跳躍、回避。宙で前転してキャッスルの後ろに回り込み、右の手刀を繰り出す。振り返りながらキャッスルは勘を頼りに悪魔の腕を十字にたたんで防御。隙間をすり抜け喉を狙ってきたポーラの手刀を首をそらしてぎりぎりかわす。首の皮が焦げる。伸びきったポーラの腕を悪魔の手で捕縛。握り締めたまま突き離して距離を置き、ショットガンの狙いを腹部に定める。ポーラの左手が銃口をふさごうと伸びる。だがそれは誘い。わざわざ掴みやすい位置にショットガンがあることをポーラは察して手をひっこめようとするが、キャッスルはもう片方の悪魔で左手も捕捉。銃口を鼻に突き付ける。さながらショットガンマリッジ。ポーラが顔の高さまで右足を跳ね上げ銃身が明後日の方向に蹴りあげられる。ポーラはさらに鉄棒選手よろしく自分の両手を軸に逆上がり。左足がキャッスルの顎をとらえ蹴り飛ばした。悪魔の拘束から逃れたポーラはふらつくキャッスルに足払い。キャッスルは悪魔の手でガードしようとするが、いきなりそれが来て全身が硬直。足払いを食らって無様に転ぶ。方向感覚を失って立つことができない。酩酊感。嘔吐感。内臓の掻痒感。喉が焼けつく痛み。顎を蹴られたからなの? 違う、毒だ。「腕が四本あるってかなりやりづらいわね。でも……ようやく効いてきたみたい」一瞬ウェイトレスが二重に見える。ポーラとパージャ? ヘイクはやられたの? 違う、視野がにじんでいるだけだ。自分を叱咤して壁に体重を預けながらなんとか立つ。無慈悲に繰り出される焼ける手の猛攻を悪魔の腕でいなしつつ、鈍い頭を回転させた。どうやって毒を発生させたの? ガス? 手袋に塗っていたの? 他の何か? 考えなくては考えなくては。このままでは殺される。



 幹部はまるでその小さな背中にも眼がついているかのごとくヴィヴィレストの銃弾をかわし、もしくは悪魔を用いてたたき落とした。ただでさえ自分たちが所有する弾薬は少ない。あまり無駄撃ちしたくなかったが幹部を取り逃すわけにはいかなかった。幹部は幼い容姿と裏腹に足が速く軍人崩れのヴィヴィレストと張り合うほどスタミナの持ち主だった。
 いつまで逃げる気だ。銃倉を叩き込みながらヴィヴィレストは歯噛みした。このままでは弾の無駄どころか時間の無駄だ。幹部が時間稼ぎのために走りまわっているのは歴然だった。その証拠と言わんばかりに幹部は同じ地区を逃げまどっている。すぐにでも兎を助けに向かえる距離であり、測っているかのようにエネミアの探知の範囲外でもあった。ヴィヴィレストの脳の中には拠点周辺の地図が叩き込まれてある。にもかかわらず幹部がヴィヴィレストから逃げ切っていられるのは悪魔の力があるからだ。おそらく高度な探知能力。最初の尾行の時点でヴィヴィレストを撒いたことから干渉能力もあると考えていいはずだったが、今使用しないのは幹部としてもPPPとヴィヴィレストを合流させたくないためだろう。必然、PPPに対して何か有効打を携えてきたことになり、即刻幹部を始末することが求められる。PPPの実力を信頼していないわけではないが、ヴィヴィレストには何故だか息が詰まるような嫌な予感がしていた。幹部を追って角をまがり直線の路地にでたところで、息苦しさを振り払うように背を撃った。悪魔はやすやすと弾く。
『頭を狙え』ふいに無線が入る。『三度だ』応じる前に速射した。首をそらしてかわされる。頭部を包んだ悪魔で防がれる。防がれる。そして上空から降りおろされた傘が悪魔を引き裂き、幹部が半身になって避けた。憎悪をたぎらせたエネミアの形相。傘が横薙ぎに転じ、幹部が両手を交差させて受け止める。骨が折れるか砕けるかした鈍い音。苦悶の表情を浮かべる幹部が多数の悪魔を発現させた。巨大な陽炎は一瞬壁のようにも見え、エネミアに次々と殺到する。エネミアは傘を広げるだけですべて消去。傘を閉じ、くるりと身を翻らせての回し薙ぎ。幹部は身を伏せてやり過ごす。追いついたヴィヴィレストは休む暇を与えず連射。幹部の悪魔は銃弾を弾きながらヴィヴィレストへとその手を伸ばすが、ヴィヴィレストの脳をたたき割る寸前でエネミアが傘で断ち切る。傘を構え直しエネミアが踊るように幹部に迫り一閃。悪魔的な防御を拒絶する傘を相手に幹部は無理な体勢でも逃げるしかできない。ヴィヴィレストは見逃さず額を狙って連射。幹部が頭部を守るために発動させた悪魔は、すでに振るわれていたエネミアの傘に消し飛ばされ、銃弾が――無慈悲に幹部の眼鏡を砕き眼球を潰し脳を壊した。幹部が仰向けに崩れ落ちる。アスファルトに血だまりが広がる。エネミアは傘を逆手に持ち替え、感情を失った顔で倒れた少女の喉に胸に腹に何度も何度も何度も突き立てた。意匠の凝ったワンピースが深紅に染まった。最後に死体につばを吐きかけ、傘を振って血を払った。「お前が撃ち続けてくれなければすっかり見失うところだった」ひどく疲れ切った感じでエネミアが自分の懐を漁り、ひしゃげたラッキーストライクの紙箱を引っ張り出した。「PPPが心配だ。先に合流してくれ。あたしは少し野暮用がある」
 ヴィヴィレストは了解、と答えかけてぴんときた。「野暮用というのは、幹部の服の持ち主のことですか」
 エネミアは箱から煙草を一本抜きとって火を点ける。「ん、あァ、まァな」閉じていたビニール傘をひろげ、「お前が気にすることじゃ――」途端、顔を引き締めて少女の亡骸から飛び退いた。陽炎のようなものがエネミアの右腕に巻きつき、ひねりあげた。エネミアはすぐに傘で悪魔を断ったが、右腕は雑巾のように絞られて血を滴らせながら関節のあちこちから骨が突き出して見えた。
 幹部の死体がのっそりと起き上がる。「さすがは元悪魔祓い部隊の精鋭、シトロエン小隊といったところですか」口を開けていた腹、胸、喉、眼球がみるみるうちにふさがる。凄まじい再生能力だった。「たった二人きりで私たちのうち一人を殺したことは称賛に値します。ですが、トロエ抜きではいかんせん火力不足のようですね」
「知ってやがったのか、こっちのこと」エネミアが開いた傘越しに忌々しげに幹部をねめつけた。
「有名なのはトロエだけだと思っていましたか? ただの腰ぎんちゃくだったからずっと無名でいられると? 名が売れすぎた人間の影響を甘く見過ぎですね。軍の関係者であなたたちのような最大の汚点を知らないものはもぐりですよ。もっとも、口に出すのは最低の恥知らずですが」
「兵隊にもお姉さま連中にも、あんたみたいなのはいなかったと記憶しているんだがな」
「あなたがあの蛇女に媚を売っていたのはしっていましたが、どうやら大事なことは何も聞きだしてはいないようですね。哀れな人。これでは何のためにトロエが死んだのかわからないですね」冷笑を浮かべる少女。
「黙れ! あんたにトロエを侮辱する権利はない。すべてを奪ったのはあんたら軍だろうが」
「軍は何も奪ってなどいません。与えただけです。トロエは悪魔を受け入れましたよ。彼女は奪われたなどと思っていないはずです」
「受け入れざるを得なかったからだろ。軍が他のすべてを奪ったから、あたしたちには悪魔しかなくなっただけだ。望んだこともなければ、悪魔を得て喜んだこともない」
「あさましい。個人が挫折する理由を社会に押し付けても、ただの負け犬の遠吠えにしか聞こえませんよ」
「軍が社会だと? 笑わせンな。あんたらは私利私欲のためだけに戦争を起こした利己主義者どもだ。さっきあんたが殺したその服の持ち主のことを知らないとは言わせんぞ」
「星条旗を守るために流れた、取るに足らない聖なる血にすぎません」
「愛国心を利用してその星条旗から星を一個消したのはあんたらだろ。御託はもういい。もっぺん死んでくれ」今やただの肉片となったものをぶらさげているエネミアの右肩がぴくりと動いた。合図。ヴィヴィレストは射撃を開始し、エネミアが傘をたたんで少女に斬りかかった。



 踊り狂う灼熱の手は止まらない。毒に侵され鉛でも詰め込まれたかのように重い身体をひきずりながら、キャッスルはむっとするほどの熱気が滞留した狭い通路を逃げまどうばかりだ。かろうじて命にかかわるようなポーラの攻撃は避け続けてはいるが、毒の浸食はとどまるところをしらない。次第に肉体と思考の自由が失われていくのが実感できた。そして汚染の進度に比例するように、キャッスルの腕に足に腹にやけどが数を増やしていき窒息感が増大していった。キャッスルは確実に追い詰められていたが、ポーラは先ほどのように立体的な行動に移らず、止めを刺しには来ない。キャッスルが攻勢に転ずるきっかけは、ポーラが勝利を確信したときのみであると理解しているかのように。あるいは、とキャッスルに漠然とした疑いの念が湧く。スパイダーマンごっこができない理由があるの? 上を見られたらまずい理由でも? キャッスルは賭けに出ることにした。
 直撃すればもれなく墓の下へ落ちる暴力的なポーラのワン・ツーを紙一重でかわし、キャッスルは膝立ちでショットガンを構えて突きだした。ポーラは続くコンビネーションで鉄の銃身をあっさりとへしゃげさせ、キャッスルの顔面に左拳を叩き込む。あえて左腕を犠牲に受け止める。想像を絶する痛みをこらえて悪魔を発揮。ポーラの左手の革手袋を即座に悪魔の指で分解する。かすかな冷気を感じた。もう片方の悪魔の手で再び二階の窓枠を掴んで一気に身体を引き上げる。ポーラから離れたところで悪魔の腕をさらに上へと伸ばし、流れるように三階、四階へ。そして登る途中、違和感――壁に黒々とした液体の染みを見つける。これか。きっと最初に閃光弾を使用したときに仕掛けられたのだ。悪魔の拳で染みを壁ごとたたき割っておいて、屋上へたどり着く。高いところへ上がり、一度だけ深呼吸をして新鮮な空気を肺いっぱいに取り込む。いくらか眼が冴えてきた。
「見つけたのは見事だけど、今さらあれを潰したところであなたの中の毒は消えないのよ?」追いついてきたポーラがおかしげに鈴を鳴らすような声で言った。
「いいえ、これを壊せば消えるわ」悪魔の腕を発動させて、背後の――ビルの給水タンクに叩きつけた。老朽化した給水タンクはいとも簡単に破壊され、汚水を屋上にぶちまける。キャッスルはまともに頭からかぶってずぶ濡れになり、火照った身体が冷却された。脳がとろける感覚が緩和されていく。
「へェ、ばれちゃったんだ?」ポーラが関心したように笑った。
 熱を用いた攻撃、閉塞的な空間での戦闘から何らかの思惑があるのはわかっていた。決め手となったのは革手袋を分解したときに、ポーラの肌から感じた冷たさだ。身を冷ます原理まではわからなかったが、それは発熱する手袋で自らの手を焼かない意図以上に、ポーラ自身が毒に侵されないためのものだったのだ。手袋は毒の弱点に気付かせないためのブラフだったが、巧妙に張り巡らされた罠はむしろ隠し事を明らかにさせた。つまりポーラが使った毒は、ある程度の温度がなければ効能が一気に下がるというわけだ。これで振り出し、とまではいかないがポーラの手札を一つ潰すことができた。あと一手、何かあれば。ポーラが何か手を見せてくれれば。キャッスルは顔にかかる、水を吸って重くなった金髪を払って、ポシェットから拳銃を抜きうちざま撃った。予期していたのかポーラは姿勢を低くして回避し、素手の左を後ろに隠し疾走してくる。悪魔の手で屋上のフェンスを引きちぎって投擲させつつ、立て続けに銃を連射。ポーラは右手でフェンスを両断し、左手に握ったもの――鉄の鎖を振り回した。鎖はそれ自体が生物であるかのように宙で複雑な動きを見せて弾丸を迎えうち、キャッスルの銃を握る手と首を束縛して締めあげた。息ができない。方向感覚を失う。意識が混濁し始める。ほどこうともがくキャッスルにポーラはゆっくり時間をかけて歩いて近づき、止めを刺そうと右手を振り上げた。だがポーラは早まらずに気付くべきだった。キャッスルが悪魔で鎖を分解しなかったことに。ポーラの腕がキャッスルの息の根を止める寸前、キャッスルの身体がコンクリートの地面に消えた。自分が接していたコンクリートを粒状に砕いて埋没したのだ。ポーラは焦って鎖を引くが、下階の部屋へ落ちる間にキャッスルは悪魔の指で鉄の塵へと分解していた。鎖を捨て、キャッスルが作った穴を右手で殴って広げるポーラは続く失態で完全に平静を失っていた。逃がすまいとポーラが穴に身を投げ出し、降り立った部屋は無人であり――おそらくポーラにとって見覚えのあるアパートの寝室。
「大事に取っておいてくれて助かったわ」ポーラの頭上からキャッスルの声とともに小さな何かが落ちてくる。黒い円盤。ポーラたちが爆弾を仕掛けた寝室の床に発信器が触れた同時、轟音と爆炎がポーラを包み込んだ。天井に悪魔の腕で張り付いていたキャッスルは築いていたコンクリの防壁で爆発をやり過ごす。すぐに壁を内側から崩して拳銃を構える。凄まじい暴力の嵐が通り過ぎた空間の中心には、四肢を吹き飛ばされ脳震盪を起こして気を失っているウェイトレスがいた。息はある。キャッスルは息の根を止めようと引き金を絞るも、あと五セントほどの重さもかかれば銃弾が放たれるというところで躊躇して銃をポシェットにしまった。もうポーラにはどうこうできるすべはない。もしかしたら有益な情報を――母の仇のことを聞き出せるかもしれないと自分に言い訳し、寝室に他に爆弾が隠されていないか確認してからポーラに応急処置を施し縛りあげて部屋の隅に寝かせてやった。発信器も念のためにつけておく。そして寝室からアパートの扉へと向かうキャッスルの足が何か硬いものを踏みつけた。指輪物語でガンダルフが使っていたような長い陶器製のパイプ煙草だ。爆発の衝撃を受けたのか、半ばで折れてしまって吸い口が見当たらない。火皿にある刻印はZYXと読めた。物珍しくてキャッスルはしげしげと眺めてしまったが、すぐ近くで起こった部屋を揺るがすほどの重い音で我に返ってアパートを飛び出した。



 キャッスルが閃光弾を投げると同時にヘイクは小銃を捨てていた。耳と目をかばい口を開いて衝撃をしのぎ、すぐさま銃剣を抜いてパージャの背を切りつけてパージャの注意を引いた。振り向きざまパージャが鉄槌のごとき一撃を振るう。上体をかがめて避ける。ビル壁がやすやすと破砕される。パージャの眼球を狙ってマーチの能力による幾重もの刺突を放つ。肩の動きで読まれていたのか頭を傾けてすべてかわされ剣尖はパージャの耳朶を貫くにとどまった。パージャが銃剣を奪わんとする。飛んで離れ、すぐに再度急所を狙って鋭い突き。あるいは斬撃。斬っては逃げを繰り返して、パージャを翻弄しつつキャッスルたちから徐々に離れていく。決してこちらに骨を破る手段があると気取られてはいけない。パージャの致命的なミスを誘いだすまでは。
 空気の唸りをあげて壊れぬ拳が壁を大地を次々と砕いていく。ヘイクは銃剣で間合いをきちんと測りながらなんとかかわしているが攻めに転じることができないでいた。狭い路地にも関わらずパージャがその剛力をもって存分に腕を振り回しているからだ。皮膚や肉を浅く切ることはできたがそれではダメージにはならない。逆にパージャに一度でも捕まるわけにはいかなかった。関節技にもっていかれればなすすべもなく死ぬだけだ。そのときパージャがヘイクの捨てた小銃の端を踏みつけ、小銃はくるりと回転して綺麗にパージャの手に収まった。ライフル弾はマーチでは受け切れない。慌てて小銃を切り刻む。踏み込んだヘイクに砲弾のようなブローが到来する。防ぎきれず、肋骨が粉砕された。よろける。足元がおぼつかない。腰砕けになって座り込みそうになる。血を吐き後退して、顎を打ち抜かんとする次の一撃をなんとか見切る。合い討ち覚悟で銃剣を振るう。一条、二条、三条――十条の傷が瞬く間にパージャの顔を覆う。眼は無傷。パージャがアッパーカットで見事な半円を描く。頬を掠めた。それだけで頬骨が削れる。皮膚が弾ける。退くヘイクにさらにストレートの精密射撃が鼻を潰す。カミソリのような鋭い回し蹴りが負傷した肋骨にフィニッシュを狙ってくる。ここだ。逆に突進しパージャの太ももを銃剣の腹で受ける。ブーツのナイフ――狼の牙を抜きはらいパージャのわき腹に押し当てマーチが阿吽の呼吸で悪魔を発揮。耳をつんざく叫び声をあげながら狼の牙がパージャの腹に噛みついた。パージャが苦悶の声を上げる。今までとは比較にならないほどの体液がパージャの腹から吹き出す。裏拳がヘイクの首を刈り取りにくる。頭をかがめてかわす。牙はパージャに食らいついて逃さない。掌底がヘイクの顎を引きちぎりにくる。銃剣を握る手でパージャの手首を払ってそらす。狼はパージャを離さない。牙を握る手に熱い血液がかかる。摩擦で発熱した牙が内臓を焼いて血を煮詰める。パージャが牙をもつ左手を狙ってくる。右腕でかばう。骨が砕けて肉が突き破られた。銃剣を取り落とす。それでも右腕を盾にし続けた。何があっても食らいついた牙だけは離してはいけないと本能が告げていた。足で壁に叩きつけられる。内臓に折れた肋骨が突き刺さってきしむ。一瞬意識が飛ぶ。こみ上げてくる吐き気によって目が覚め、血の塊を吐いた。牙は抜けていた。パージャも鮮血を口と腹から吹きこぼしてふらついている。パージャは死に瀕していた。ヘイクとマーチも同じだった。もう二度と牙を突き立てることなどできないと思った。立っているだけでさえ気力を振り絞らなければ不可能だった。座り込んで眠ってしまいたかった。強烈な眠気に抗いながら、牙を握り締め切っ先をパージャに向けたままただパージャと睨みあい続けた。今ここですべての力を使い果たそうとも牙を下ろすことだけはできない。互いが生命の限界の縁に追い詰められていた。互いが近付けば脅威となる獲物を携えていた。震える鋼鉄の牙と砕けぬ骨の拳。先に動いたのはパージャだった。ヘイクよりもなお、一刻も早く傷をいやすべきはパージャだった。血をまきながら放たれた銃弾のようにパージャがまっすぐ飛びかかってくる。拳が迫る。ヘイクは動けない。にわかに視界がさえぎられた。波打つ金髪と褐色の肌。パージャが悪魔の拳に殴り飛ばされ壁に激突する。「ひどい有様ね?」ちらりとヘイクを一瞥して不敵な笑み。「そんなに自分の顔が憎たらしいの?」皮肉の応酬をしようとヘイクは口を開いたが、痛む肺に顔をしかめて諦めた。
 パージャは腹を押さえながら立とうとしたが、すぐに膝をついた。「私の……妹は、どこに行ったの……かしら?」口や鼻から血を零しながらたずねた。
「寝かしつけるのに苦労したけど、今頃ベッドの上でぐっすり眠ってるわよ」キャッスルが悪魔の腕を構える。「さぁ、あんたももう観念なさい」
「あらまァ、まったく、あなたたちは……、この州は、私から何もかも奪わなきゃ、気が済まないの、ね……」荒い息。パージャが息絶える寸前なのは火を見るよりも明らかだった。
「いったい何を言って――」
 パージャの血の気のない唇がゆがめられた。がこん、という重い機械音。危機を感じたキャッスルが悪魔の手で一瞬にして壁を築きあげたと同時に、強烈な衝撃。路地に面したビルのガラスが砕け散る。内臓が揺れる。思わず尻もちを突く。キャッスルが作った壁が木っ端微塵になる。破片が散弾のように弾けるが、悪魔の手によって阻まれた。唐突に訪れた爆裂は瞬く間に過ぎ去っていった。パージャがいた路地には巨大なクレーターが穿たれ、深紅の雨が降り注いだ。そこかしこに肉片や骨のかけらが飛散し、パージャの姿はない。渾身の自爆。あらゆる兵器を受け付けない突撃兵の末路だった。びちゃびちゃと嘔吐する音が聞こえた。キャッスルが路地の隅でうずくまり吐いていた。
「仕留めたようですね」服を真っ赤に染めたテスティトが追いついてきた。「すぐに敵が来ます。予定通りのルートで退却しましょう」
 ヘイクは生き残ることができた安堵が気だるくのしかかってくるのを感じながら、曖昧に頷いた。



 すでに二度、心臓を貫いていた。脳を破壊したのはもうこれで三度目だ。エネミアは傘にべっとりと張り付いた脳漿を払い落した。それでもこの黒髪の幼い少女は倒れるたびにバイオハザードに出てくるゾンビのように起き上がってくる。だがもはやゾンビなどという生易しいものではなかった。T-ウィルスの感染者は脳を潰せば死ぬはずだ。これではターミネーターじゃないかと少女の死体を見下ろしながらエネミアは苛立ちを募らせた。悪魔ウィルス――DGVはいつの間にかT-ウィルスを超えたのか? 否、そうではない。このチビが異常なだけだ。トロエは心臓を貫かれ二度とその目を開くことはなかった。頑丈さが取り柄のパージャやヴィヴィでさえ脳を失えばたぶん死ぬぞ? 何度殺せば死ぬんだ。何度も何度も蘇る幹部を相手にして気が滅入ってきたのか、にわかにPPPのことが思い出された。傘を開けて探知した。七人の動く人影。誰も欠けてなどいない。兎たちは存外にしぶといようだった。PPPたちが負けるとは思っていないが、胸の内に暗いものが巣くっていた。ちらりと悟られないようにヴィヴィレストの顔色をうかがった。こちらが気弱になっていることを幹部に勘付かれるわけにはいかない。そしてそれ以上にヴィヴィレストに勘付かれるわけには。だが、と思う。それはエネミア自身の矜持の問題でしかない。エネミアは今や隊長で、部下を守る義務があった。「ヴィヴィ」懐からラッキーストライクを引っ張り出して火を灯した。「次にこいつを殺したらあたしの腕を治してPPPの援護に行け」
「それはあなたを見捨てろということですか」ヴィヴィレストは険しい顔で答える。「三銃士ごっこを続けると言ったのはあなたですが、アミー」
「あたしを誰だと思ってるんだ。シトロエン小隊最強の迎撃兵だぞ?」煙を吐いて続ける。「それに三銃士ごっこを続けるのはトロエの一部をこの世に残したかったってだけだ。それを言うならば、トロエから引き継いだ最大の財産であるお前たちを優先したいよ、あたしは」
「……了解」ヴィヴィレストは納得していないようだったがしぶしぶといった様子で引き下がった。
「それは困りますね」幼い声が口出しした。「あなたたちにはここから動かないでもらいたいのですが」のっそりと矮躯が身を起こす。
 エネミアはろくに返事もせずに傘を振り上げた。幹部が悪魔を目覚めさせる。頭をたたき割るつもりだったエネミアは傘の軌道を修正し悪魔を分断する。そしてヴィヴィレストの精密な射撃が四たび幹部の頭蓋骨に風穴を開け、幹部は血だまりの中に顔を埋めた。エネミアはヴィヴィレストに向き直る。「それじゃ、治し――」
 爆発音がエネミアの言葉を遮った。兎たちをはめるための罠が作動したのだろう。問題はだれが作動させたか――。
「まだ生きてます!」ヴィヴィレストの切羽詰まった叫び。
 弾かれたように振り返るエネミアの両足に陽炎が取りつき、瞬く間にして弾痕のようなものを太ももにいくつも作った上にねじり折ってみせた。エネミアがバランスを崩して倒れるが早いか、少女は飛び起きて額から脳漿を零しながら一目散に走り去っていった。くそ、今まで死んでいたのは死んだふりだったのか。エネミアは内心で毒づきながら声を張り上げた。「追え! あたしの治療はするな!」だがヴィヴィレストはエネミアと幹部が逃げた方向を見比べると、銃を納めてエネミアに駆け寄ってきた。「ふざけンな、何やってる!? あたしの命令が――」
「うぬぼれるのもいい加減にしてください! あいつはあなたに止めを刺しに戻ってくるかもしれないんですよ」さきほどよりも大きな爆発が起きた。議論するには時間などなかった。ヴィヴィレストは小柄なエネミアの身体をひょいと肩に担ぎあげた。「道中、破れた血管だけ治します。代わりに無線でPPPに連絡をお願いします」ヴィヴィレストはエネミアの白い大腿部に掌を押し当てて大動脈を元通り繋ぎ合わせた。
「……すまん。油断していた」久々にヴィヴィレストに恫喝されてエネミアは一気に冷静さを取り戻した。「やっぱりお前の方が、隊長に向いてるよ」
「あなたを隊長にしたのは死んでもらうわけにはいかないからです。あなたを失うことは、我々にとって敗北を意味しますから」
「ちっとは慰めてくれてもばちは当たらないと思うんだがな」エネミアは苦笑して無線のマイクに話しかける。「隊長からPPPへ。すまないが、チビがおたくへお菓子をもらいに行った。あたりを警戒しろ」しばらく待っても無線は何も言わない。幹部の手回しの方が早かったのだ。「駄目だ、通じん」エネミアは傘を広げて肩にはさみ、索敵を開始しつつ煙草の箱を取り出した。自分を含め、五人の動く人間が探知に引っかかった。罠の近くに二人、罠に向かうものが一人。二人少ない。本来ならば分解能を上げて精密に探知すれば人間の顔を判別するのは造作もないことだったが、どういうわけかノイズが多すぎてうまく探知できなかった。おそらくは幹部の悪魔だ。幹部の悪魔が人間の知覚に干渉することができるというならば、エネミアの悪魔もまた例外ではない。そして――エネミアは思わず抜きかけた一本の煙草を取り落とした。幹部に殺された娼婦がいたはずの場所で、ゆっくりと動きだすものがいた。生きていたのか? あの重傷で? エネミアは迷った。救える命なら救うべきだった。自分のせいで巻き込まれたならばなおさらだった。救えないならば、せめてこの手で引導を渡して楽にしてやるのも彼女のためだった。あのチビに殺されるよりかは、自分で殺してすべての責任を負いたかった。
「……隊長?」
「ん、あァ、なんだ?」
「やっぱり向こうの様子はわかりませんか」
「あァ、ジャミングされてるな」エネミアは頭の中から自分のわがままを振り払った。今あの娼婦よりも大切なのは仲間だった。「二人動いていない。なんとかそれだけわかった。用心して行け」



 床に並べた、ケータリングした夕飯をがつがつ詰め込んでから、ヘイクはバドワイザーで一気に流し込んで盛大なげっぷをもらした。「食べないの?」訊くだけ無駄だとはわかっていたが、気を利かせたつもりで一応キャッスルに訊ねた。
「……よく食べられるわね」キャッスルはジンジャーエールをちびちびやりながら焦点の合ってない目でぽつりと言った。
 教会本部にあるヘイクの部屋。傷をテスティトの悪魔で癒やし、デブリーフィングも終えて日も沈んだところだった。一日中悪魔の力を発揮し続けていたマーチは、ヘイクの中でとっくの昔に眠っていた。二人きりの食事だった。「そりゃ食べるわよ。食べるために買ったんだから」ヘイクは怪訝そうな顔をした。
「でも……人を殺したお金で買ったものなのよね」
「当り前よ。お金をもらうために人を殺したんだから」ヘイクはキャッスルの言わんとすることを理解し、いらいらして言った。「キャシー、あなたまさかお金に汚いとか綺麗とかそういう意味を求めるわけ?」
「そういうわけじゃ、ないけど……」
「お金はお金よ。一ドル札に一ドル以上の価値も意味もありはしないわ。あなたのその意味づけ論で言うなら、このヤキソバは、私たちに人を殺させるために、あのおじさんが作ったことになるわ。ヤキソバに入ってる豚は私たちに人を殺させるためだけに生まれてきて、畜産農家の人は私たちに人を殺させるために豚を育てたことになるわ。それって失礼なんじゃない?」
「それは――」
「もっと言ったほうがいい? このビールはパージャの血。こっちのリブステーキはポーラの肉。そしてあの人たちは、今日この十数分の間に私たちに食べられるためだけに生まれて、十数年も生きてきたのよ。明日にはトイレに流されるってのにね。お気の毒さまだわ」
「……」
「考えるだけ無駄よ、キャシー。あなたが先月まで住んでいたところとは違うの。どれだけ意味を問おうと一ドルは一ドル、肉は肉よ。それ以上の価値を持つことはあり得ないわ、こっちの世界じゃね。あなたは強要されたわけでもなく、自分で選んでこっちに来たんでしょ? 他の幸せはいくらでもあったのに。低所得者用のモール、低所得者用の土地、低所得者用の家、低所得者用の仕事、低所得者用のお金。そんなものここにはひとつもないのよ。この州は確かにちょっとおかしいわ。どう生きようと猛獣が詰め込まれた檻の中には変わらない。でも、本当はどうとでもなったはずよ。いくらでも快適な檻はあったはずよ。あなたは今までそういうところに住んでいたんだから、わかってたんじゃない?」
「もう、いいわ……」キャッスルはコップを床に置き、ふらふらとした足取りでベッドにもぐりこんだ。
 ヘイクはコップに残ったジンジャーエールの匂いを嗅いで顔をしかめた。アルコールの臭気。「ちょっと入れすぎちゃったかしら?」気付かれなかったしまァいいか、とひとりごちてキャッスルの隣に寝そべった。視界いっぱいに広がった緩やかな金髪からはシャンプーの香りがした。
「……ソファで寝るんじゃ……なかったの?」背中越しにうわごとのようにキャッスルが言った。
「マーチはもう寝てるから大丈夫よ」
「……そう」キャッスルが寝返りを打った。ヘイクの緑の瞳と、キャッスルのうつろな赤い瞳がぶつかった。「殺す気がなかった、なんて言わないわよ……ポーラも……実際はあたしが、殺したようなものだわ。でもあたし、知らなかった……知らなかっただけなのよ、人を殺すのって、こんなに――」
「気持ち悪いって?」言い淀むキャッスルの後を継いだ。
「ええ……」
「そうね、気持ち悪いかもね。殺してみなきゃわかんないことだしね。でもこれはただの仕事なのよ。あなたが選んだ仕事。仕事は仕事よ、人を殺すことに意味なんかないわ。私たちは仕事をした。私たちは生きてる。パージャは死んだ。ポーラも死んだ。実際はそれだけのことよ」
「法は法、ね……まるで……ヒッピーごっこじゃない……ただ逃げてる、だけだわ」うとうとし始めるキャッスル。
「そうね、逃避かもね。でも価値の意味も、意味の価値も、考えたところで人殺しがうまくなったりはしないし、考えなかったら死ぬなんてこともない。価値も意味もないのよ」
「でもあたしは……偽るまでもなく……人を、殺したわ……その事実は……変わらない」
「そうね、仕事だものね。私たちは殺さなきゃ生きていけない。殺さなきゃ、殺されるか、飢えて死ぬのよ。死ぬまでは、殺すか殺されるかをずっと続けなきゃいけないのよ。感傷は邪魔なだけよ。仕事に私情は挟んじゃいけない。あなたならわかるんじゃない?」
「そう……ね……」ゆっくりとキャッスルの瞼が下ろされた。キャッスルはすぐに寝息を立て始めた。あまり酒には強くないようだった。極度の疲労と空腹も要因だろう。おおむね、ヘイクの目論見通りと言えた。眠るためには必要なことだった。
 ヘイクはキャッスルの頭を優しく撫でながら、「生きるために必要なことなのよ。生きることが一番大事なのよ。こうして毎日ご飯を食べて、ベッドで眠ることが、ね」頬に優しく口づけた。「あなたなら、すぐに慣れるわ」



 路地にパージャの骨や肉がばらばらに飛び散っていた。死ねば悪魔は力を失い、骨は硬さを常人のそれに戻る。追い詰められ、絶命した際に蓄えていたばねエネルギーをすべて解放したのだろう。ヴィヴィレストは無言で、落ちている骨の中で一番大きなものを拾った。ベッドの上で手足を奪われ、首をねじ折られた形でポーラはこと切れていた。手口からして幹部の悪魔だ。エネミアは傘を広げて周囲に気を配りながら、静かに十字を切った。不用意に死体に触れたりせず、すぐに拠点に引き返した。幹部に折られたエネミアの足を治療するには肉が足りなかった。ヴィヴィレストにおぶらせ、尾行を警戒し何度も迂回してから戻った。
 三銃士ごっこをやっていれば、この州で負けることはないと過信していた。トロエの教えであり、軍の中でも戦闘力で言うならば最底辺のエネミアたちを今まで生かしてきた処世術だった。拠点への道すがら煙草に火を点け、
「準備を怠ったから負けたのかな」エネミアの自問するような呟き。
「おそらくは」ヴィヴィレストの即答。
「私は駄目な隊長かな」
「おそらくは」
「トロエの真似をしたって駄目だったということかな」
「おそらくは」
「……わかった。当面の軍を粛清するという目的はいったん取り下げよう。軍と教会を仲たがいをさせるなんてまどろっこしい真似はもうやめだ」煙を吐き出す。「兵坦を練って教会を潰す。徹底的に。手段ではなく目的として。これでいいか?」決意。
「了解」ヴィヴィレストの誓いと追従。変わらぬ意思。



 第二話「ZYX」へ

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